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和歌山〔本屋プラグ〕さん企画、月亭太遊×大前粟生×笑福亭智丸『創作と落語』、つづき。

去る1/11、残り福の日に開催された、『創作と落語』。前回は、太遊さんの落語2席と、大前さんの朗読「あたま山」、そして〔本屋プラグ〕ご店主進行による、創作にまつわる座談会の様子、の途中まで。

今回は、そのつづき。


智丸さんの発言、「文学は、遠くに離れていける」が印象的でした。
そんな智丸さんは、落語家になる前に、詩集を出されています。



疋田龍乃介『歯車vs丙午』(思潮社

店主「大前さん、お読みになられて、如何でしたか?」
大前「この人が、落語家になるのは、分かるな、と思いました。
詩集で、声出して笑たのは、初めてです」
智丸「ありがとうございます。バカバカしいことばかり、書いてました。
10代後半、ホントは小説家志望だったんですが、小説はやはり構成が難しくて」
店主「そうなんですか?」
智丸「難しいと思います」

智丸「太遊さんは、文章を書かれたりしてますが、小さい頃から何か書かれてたとか?」
太遊「ぜんぜん。小学生の頃、「耳くそ」ていう詩を書いて以来、全く」
智丸「そういや前、桂あおばさんが「鼻くそ」ていう詩を書いてた、てお聞きしましたわ」
太遊「あおばも?同期でお互い何書いてんねん。
動物の擬人化、みたいな詩が教科書に載るやん。そういう感じのやったわ」

店主「太遊さんは、いつからものを創るのがお好きでしたか」
太遊「絵を描く、マンガみたいなん描く、てのは小さい頃からしてましたね。だから、ものを創るのは、昔から。
でも、「お笑いでスターになる」てのと、「ものづくり」がツロクしだした、一緒になりだしたんは、芸人になってからですね。落語家になる前は、漫才師だったんですが、ア、こんなことも作らなアカンのや、と気付いてから、文章とか書きだして」

店主「ネタは、ほぼ自作ですか」
太遊「う~ん、その、ネタと言うか、我々は、盛り上げるのが前提ですよね。その日のネタを、どう、その日の酢飯と握って、盛り上げるかなので、ネタだけを抽出するのは、落語を文芸作品的に扱う、崇めるような感じです。
そもそも、落語の題は、落語家同士が判ってたら良いことなんです。楽屋のネタ帳を見て、誰が何した、と。
だから、「時うどん」という題は、お客さんが知ってたら、本来的にはおかしいと思う。時刻がオチと判ってしまうから。
だから、作品はただの武器。盛り上げる材料だと思ってますので、小説を作る、形のあるのを作る人はスゴいと思います」
智丸「我々は、我々の肉体での、実演が基本ですので」
太遊「僕の作った落語は、僕の声以外やっても面白くないと思います」
智丸「声。詩だけ、と、朗読を前提に書いたものは、やはり違います」

太遊「前にポエトリー・リーディングのイベントに出た時に、出場される方とお話してたら、その人たちは、本にしたい、より、聴いて喜んでもらいたくてやってる、と言うてはりました」
店主「大前さんは、小説を頭の中で、ご自分の声で読んでみたりされますか」
大前「自分の声で再生はしないです。書いている時、朗読用の作品は、自分の声、背格好に合ってるか、気にはしています。でも、文章の時は、自分の身体とは関係無いですね」
智丸「やはり縛られますからね」
太遊「その、遠くに行けないんですよ。文章だけだと、遠くに行ける。カッコいいな、と思いますね」
智丸「落語を作っても、所作がややこしくなった、とかで、やらなくなるのもあります」

大前さんのご著書も販売されていた。『私と鰐と妹の部屋』(書肆侃侃房、2019)。53の短編、ご自身の作風と仰有る、「目からビームが出る」話が収録されています。

智丸「改めてお聞きしますが、ネオラクゴ家の定義とは何ですか?」
太遊「古典落語、という言葉が、批評家や文芸寄りの人が、落語について書いて飯を食い易く、文芸に寄せた言い方だと思っています。で、古典・新作、という風に分けるのが、そもそもおかしい。
でも、新作や創作落語ですら、ちょっと今の感覚ではもう笑うに笑えないようになってきたりしてます。お父さんとお母さんの関係性が、旧弊のままだったり。
なので、ネオラクゴは、未来のことを描く、ポリコレみたいな感覚で作っています。と言うて、「それ、差別やで」という言葉が、日常会話で出るのは窮屈だと思うので、そういうのはダサいよね、というのを、ネタを通して、また作品でやりたい」

智丸「もう少し聴きたいんですが、作り方に就いてですが、落語家になって年数重ねて作ると、どうしても古典落語に引っ張られてしまうんです。具体的な意味で、ストーリーテラーとしてのパターンを……」
太遊「……広野に、落語と智丸だけがいたら、仲良く出来たんやろけど、落語界というコミュニティにいるから、引っ張られてしまうんやと思うねん」
店主さん慌てて、「あの、いきなりお二人だけで難しくなってしまったようです」
太遊「その、落語界というコミュニティは、お客さんもいるし、周りには70、80代の人が超一流、第一線という、珍しい世界なんです。
だから、落語との関係を変えないと、自分の落語を変えられないんです。
今日の企画の物語りLIVE、物語論で言うと、父殺しですね、先人を殺す、というのが出来ないんですよ。ホンマに、じゃないですよ。伝統を追うが故に、出来ない。智丸君は少しそこで戦ってます。
本当の意味で、新しいことをするのが、難しい所ではあります」

ここで、大前さんと、落語の接点は?
大前「生で落語を聴いたのが、今日が初めてです。落語と言えば、『タイガー&ドラゴン』、そんな知識です。
今日の「あたま山」は、声を掛けてもらったから、作りました。
太遊「短編小説には、型がありますか?こうしたら、○○ぽくなる、みたいな」
大前「型が、多分あるんですけど、そんな型が嫌い、型アンチが自分の中に出来てきます。自分の中の型が出来たら、嫌になる」
太遊「磨かれてないですもんね」
智丸「自己摸倣。分かります、分かります」
太遊「もう一作、この感じが欲しい、同じやつが欲しい、てのも読者がいるから、あると思うんです。でも、マンネリ化するのも嫌だと。これを予測しないといけないんですもんね、小説は。落語家は、目の前にお客さんがいるから直ぐに判るけど」
店主「スタイルですね。太遊さんが去年のM-1の最中に、ミルクボーイさんに就いて、〈スタイルは生き様だから、1回目と2回目で変えるもんじゃない〉とツイートされてましたね。

大前さんは去年、『文藝』で発表した中編小説「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」が大好評でしたね。僕が読んだ中でも、2019年の1番でした」
太遊さん、このタイトルをいたく感心されていた。
店主「目からビーム、みたいな設定は無いんですが、愛らしい作品で。形を変えて来られたな、と思いました」
大前「中編は初めて書きました。それで、形を変えた、というか、長さで型が出来てしまうところがありますね」
智丸「短編だと出来る事が、中編だと出来ない」
太遊「そう、ネタ尺って大事ですね。短編やと目からビーム出しても押しきれるけど」
店主「読んで、優しい『JOKER』みたいだと思いました」
大前「あ、エエ事言いはった」

と、ここで二部も終演時刻に。
店主「皆さんの、今後こんなん作りたいな、などありますか」
智丸「一時間くらいの、大長編を作りたいです。その、構想を練る年に、今年はあてたいな。短編だと筆に任せるけど、長編は少し練ろかな、と」
太遊「地獄八景も長編みたいに言われてるけど、長いものほど、短編や小ネタが集まってるのが多いもんね。お客さんが目の前にあって、作られたんやな、と、自分も作って思う」
智丸「やっぱり笑いが無いと辛いですしね」
太遊「ネオラクゴの場合、今の僕の技術的に10分が限界で。ずーっと笑わす、或いは、聴かす、と、お客さんもしんどいんです。
だから古典はその辺は、ダレ場が良く出来てます」
大前「僕は、webで連載が始まります。月3回更新で、その更新日にまつわる話。今日は何の日、みたいな感じです」
太遊「一本を長期連載でなくて、一個一個作らないといかんのは大変ですね」
智丸「まず、アイデアがね」
大前「1回1000字、なんで、一個のアイデアをフリーで喋る感じです」

これにて座談会終了。コミュニティとの関係を変えないと作品は変えられない、長さで型が決まる等々、なんにも作れない人間にも面白く響いた。

智丸さんを残し、皆さん退場される。
台に登られ、智丸さんの高座。

智丸「この空間が良いですよね。皆さんも、落語聴いてる感じしてないでしょ。僕もしてないです。
日本の詩歌は大きく分けて3つありまして、俳句、短歌、現代詩。俳句と短歌は定型がありますが、現代詩は、これは詩!言うたら、詩になります。
この中で一番歴史が長いのが、短歌。短歌と言いますと五七五七七、31文字、みそひともじは短歌。みそひとさじはタケヤミソ、ここで笑わな笑うとこ無いよ。ま、こんなんも入れつつ……」
と、型の話が出たからか、型通り、を見せて、「西行鼓ヶ滝」に。自己摸倣、自分の中の型の話。

10分の休憩ありて、第三部。
続いて智丸さんは自作の「謝り方指南」、トリは太遊さん「くぐつぐつ傀儡軒」で、落語と朗読の会、大笑いで20時終演。

本屋プラグさん、今日の企画は勿論、新刊・古書を置く本屋さんとしても楽しく、開演前の寸刻で、上田長太郎『大阪の夏祭』(上方叢書第二篇)が買え、嬉しかった。帰りの均一棚では中村光夫『今はむかし』中公文庫版買えた。

落語好き、お笑い好き、また、文藝好き、両方楽しめ、また、奥の深さを思い知った。また、この顔合わせをこの場所で、冷暖房が特に必要無い季節で観たい。

そんな事を思いつつ、和歌山市駅から新今宮、乗換えて大阪駅、阪急宝塚線に乗って、池田の我が家、つまり「池田の猪飼い」ルート、今日の智丸さんの逆でした。