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LIGHT HOUSEを観て 己を少し見つめ直す話

 よ〜〜やく観ることができたよLIGHT HOUSE。星野源推しとして以前からこの番組を知ってはいたのだが、我が家はNetflix加入していなかったので半ば諦めていたわけで。そこから番組内で星野源が披露していた楽曲を購入して聴いているとそりゃ番組も観たくなるわけで。悩んでいるうちに天からの啓示が!コンビニでプリペイドカード買えば簡単に視聴できるじゃないか!なぜ気づかなかったんだ自分よ(涙)

 というわけでプリペイドカードを買っていざLIGHT HOUSEを視聴。全6編を一気に観ましたとさ。この番組はざっくり言うと、星野源とオードリーの若林正恭によるトークバラエティなのだが企画・演出・プロデューサーが佐久間宣行なので番組内容の味付けが独特で大変面白かった。ここで番組内容を事細かに書き連ねるのは野暮の極みなので、番組全体を観た自分が感じたことを以下に述べてみたい。

 まず初めに当然のことだが、順風満帆に人生を歩んできた人間などほぼほぼ存在しない。星野・若林もそうだし、自分もそうだ。若い頃に感じる将来への漠然とした不安、答えの見つからない状況に抗ってもがくか、あるいは何もせずに刹那的に生きるか、はたまた別の行動を取るかは人それぞれ。星野・若林は自分にできない物事を悟り、逆に自分の持っていた物事を武器にすべく磨き続けたのだと思う。一方自分はと言うと、別に刹那的な生き方をしてきたわけではないが、そこまで若かりし頃にはもがいていなかったなと思う。普通に会社員となり、アラフィフとなり、仕事の壁や上司・部下との関係をそつなくこなそうとする日々。そんな平凡な日々に不満があるわけでもないのだが。

 一方で星野・若林はクリエイティブを求められる世界の住人であるわけで、だからこその不安を日々感じているのだろう。そしてクリエイティブが求められるから、同じことを続けていると若林が語っていたように「飽きてしまう」のかもしれない。以前に星野源について少し書いたときにも、「同じことだけしているとダメになる」的な言葉を取り上げたが、これも同じニュアンスだろうか。オードリーの春日は同じことをずっと続けられるタイプらしいが、自分も同じことを繰り返すのにあまり抵抗がない方だ。恐らく仕事と割り切っているからなのだろうが、それでも趣味の分野では新しいことにチャレンジを続けたいと思う。何か自分でイチから始めてみたいとここ何年か感じていた。その想いからの結果がテントサウナだったり、今こうしてnoteに色々書き連ねたりしているわけで。

 そして星野・若林が語っていたことにハッとしたのが「多様性」に関する認識。昨今の「多様性」という言葉の扱いがいつの間にか自分の中でもある種のフォーマット化されて「多様性」ではなく、「独善的」になってはいまいか。人を傷つける笑いを避ける若林だがウエストランドのような笑いにも理解を示す様子は考えさせられた。世間で一般に受け入れられる物事を最適解として自分の考えとかのように捉えるのは視野が狭くなってしまう気がしたので、自分自身も気にしていきたい。

 LIGHT HOUSEを観て、嫉みや絶望感は誰もが感じる当たり前のこと、自分を理解してもらうことと他人を理解することがセットになっていること、そして新しいことに挑戦することの楽しさやワクワク感を感じることができた。トークバラエティのフォーマットを取りながらも人生の指針にできるワードが詰まった良い番組だったと思う。

 追記として。
 佐久間さんは星野・若林の心情を引き出すの上手すぎでしょ(笑)それとこの番組を観て以来、灯台を描いた商品に惹かれるんだよね。灯台がラベルに描かれたウイスキーやら灯台のレゴブロックやら。これまで気にもしてなかったけど灯台ってなんか良い。

                       ではではTo be continued…

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