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古代と現在が混在する国

9月になりましたね。

9月中旬を過ぎたらガラリと気候が変わるよ、と聞いていたのですが、中旬どころか9月に入った途端にいきなり変わってしまい、すっかり涼しくなりました。
連日鳴いていたセミは跡形もなくどっかに行ってしまい、代わりにもう鈴虫が鳴いています。

あんな泣きそうな程クソ暑だったのに、変わり身速すぎだろっ、と思う毎日です。
涼しくなったらなったで、何か寂し〜と感じてしまうのですが、それも身勝手な話というもの。
今回は久し振りに私にやって来た、クソ暑い夏の思い出雑記です。

久し振りにどうにも出来ないほどの激暑さを感じた今年の夏、あまりにも暑くて殆んど家から出ませんでした。
何しろ暑い、本当に暑い、そして日差しもアホほど強い。
日本のように、クーラーが利いて快適なショッピングモールもアミューズメント施設もすぐ近くにあるわけでもなく、行くとすれば海、一般人の涼取りと言えば海水浴くらいしかないのです。
しかし泳げるようなきれいな海はこれまた電車で行ける場所にはなく、車でないとね、という状態なので、本当に逃げ場もなくただ家でダラダラと汗だけかいておりました。

しかし家も暑いので、時々本当に逃げたくなって、どこに行こうか、と考えた時、カルタゴにある遺跡見物を思いつきました。
この暑いのに海沿いの遺跡なんて、余計暑いじゃないですか!と突っ込まれもしましたが、来て半年を有に越えているのに、チュニス観光のハイライトとも言えるカルタゴ遺跡をまだ見ていなかったのです。
確かに、アホほど強い日差しを避ける場所もないような所にワザワザ行くなんて、何かのウケ狙いのようですが、逆にこんな暑い中に行く物好きも居ないだろうし(私がいるけど)、人少ないだろうから寧ろ今が狙い目だ!という何かよくわからない焦燥感のもと、行ってみることにしました。

カルタゴ遺跡のハイライト、アントニヌスの公衆浴場。
海を臨む全貌は圧巻の一言。

チュニジアを知っている方はよくご存知と思いますが、チュニジアはイスラム圏ではありますが、紀元前150年から700年くらいまでローマ帝国の属州だった時代がありました。
なので国内にはローマ時代の遺跡も多く、ともすれば本国ローマよりも巨大な遺跡もあったりします。

これはエルジェムという所にあるローマ時代のコロッセウム。
本当にバカでかい・・・。
当時のままの遺跡ですが、トモコ女史は飼い犬を連れて入った。
しかしスルー、大らか過ぎる・・・。これは去年の12月撮影

同じくエルジェムにあるモザイク博物館。
古いものなのに繊細な細工に驚く。

しかしベタの土足という驚異・・・


それがどのくらい価値のあるものなのか、というのは学者じゃないし勉強したこともないのでハッキリとわかっていない私ですが、遺跡を見ると、何かスゴイな、というのだけはその存在感で実感できる程。

遺跡の中を歩き回って撮ったのですよ。
コントラストがキレイに出でますが、出るということは
本当にクソ暑だったのです。

何よりも、古代遺跡にも関わらずその中に立ち入ることが出来て、歩き回れるのは勿論、貴重な当時のローマ風彫刻を自由にペタペタさわれたり、現存しているモザイク廊下の上を土足で歩いたり・・・とか日本人や西洋諸国からは考えられない大らかさです。

これは遺跡ではなくカルタゴ博物館内部。
奥の彫刻は触れることでしょう。
中だけど死ぬほど蒸してて、暑いのに水も飲めなくて、
マジで死にかけた。
係員のオジサマ達も遠い目をしていた、私も気が遠くなったよ・・・。

日本の古いお寺や建物だと、拝観できても何とかの間を外から見てるだけ、みたいな感じだと思うのですが、チュニジアでは遺跡の近くまで寄って行って、しかも登る、足で踏む、それどころかゴミまで捨てる、という豪放磊落さ(単に民度が低いとも)。

公衆浴場の遺跡内部。
私一人だけだったので思う存分歩き回って写真取りまくった。
これ当時のものなんだろうけど、ホント石持ってってもバレないよね。
この石も大理石で出来てて貴重なんでしょうが、触りたい放題です。

しかしそんな貴重なものの中に普通に落ちてるゴミ。
公衆浴場、調べたら世界遺産でした。
民度ってなんだろう。


トモコ女史からは、チュニジア人、遺跡にある石とか勝手に持って帰りますよ、と前に聞かされて、それって大らかって言うより単にやりたい放題で、価値がわかってないんじゃね?と思っておりました。

日本の重要文化財なり国宝、または世界遺産のレベルのものなんて恐ろしく監視されてるし、写真すら撮ることも出来ないのが普通。
日本じゃなくてもマチュピチュやメキシコの遺跡なんかも、入れはしても制限されている部分もあり、そこを越えるとすぐさま注意される、というまぁ文化遺産なんだから当たり前だよね、的な対応でした。

でもチュニジアの遺跡群、ないしは文化遺産に対する態度は、ホントびっくりするぐらいテキト〜・・・なのです。
博物館に行っても遺跡公園に行っても監視員はいますが、なんか座ってるだけ、それどころか飽きたら席外す、くらいの勢い。
以前テロが起きた、チュニス市内のバルドー博物館での入場の際には、さすがに厳しくチェックされましたが、中はゆるゆる、写真も取り放題、こちらも係員が居ない部屋もザラ。
なので世界遺産レベルの物だ、という意識が全体的に行き届いていないので、何の臆面もなく持って帰ったりするのかもしれません。

数年前にテロが起きたバルドー博物館とその内部。
日本人の方も被害に遭われました。
今はそんな事が無かったかのようにきれいに修復されてましたが、
ここももしかしたら惨状だったのかもしれません。合掌(2016年12月)

バルドー内は靴カバーをするように指示されました。
ちょっと気を遣ってるようですが、それでも土足。

実際拝観中も、ちょっとちょっとそんなんでいいの・・・?と、最初はこちらが不安に思うくらいでしたが、制限が少ない遺跡内を自由に歩くうちに、何だか不思議な気持ちになって来ました。
2000年近く前の遺跡の中にいると、自分が今いるのは現在なのに、過去の中を歩いているような気がしてくるのです。
これが日本のように隔離された世界だと、箱の外から覗いている様な感じで、あそこにあるのは異世界だ、と思って見るのですが、その異世界の中を自分が歩き、それと同じようにその当時を生きていた人達もここを歩いていたんだ、と思うと、過去も未来も現在も、見えないけど隣り合わせで存在しているような、何だか不思議な感覚に見舞われます。

カルタゴ博物館に隣接しているビュルサの丘からの眺め。
現代のチュニジアと古代のチュニジアが交錯する。
何とも言えない気持ちになった


私が今回行った中で一番のお気に入りで、一番時間の混在を感じたのが、ローマ人の居住地、という遺跡。
広大、と言うほどではないけれど、街が一区画すっぽりと収まっていて、ここに市井の人々が住んでいて、この辺に家が並んでてあの坂から駆け下りて来たんだろうな、などと想像するに難くない、古代の息吹を感じる場所でした。

花の下に坂があって、そこを子供とかが家から飛び出して
駆け下りていったりしたのかな・・・と妄想。
何か見えたような気もしたり。

木は若いから当時のものではないでしょうが、
何かを知っているのかもしれません。

行ったのは夕方だったけどまだまだ暑さも残る感じだったので、狙い通り人は殆んど居ませんでしたが、それが逆に妙な、何とも言えない懐かしさを感じ、もしかしたらここに住んでたりしたのかもなぁ・・・などと思いを馳せました。

夏の夕暮れ時の寂しい感じと、遺跡の寂寥感がマッチして、
ボンヤリしてしまいました。
居すぎて係員のおっちゃんに出る時文句言われた。


まぁ唐突に思い立ってチュニジアに来たのですから、どこかの前世で縁はあったと思います。じゃないと何のゆかりもない北アフリカの国に、わざわざ住まないと思いますので。

厳しく管理して、後世に残すために尽力するのも勿論大事ですが、チュニジアのように遺跡を身近な物にして、古代を直に感じられる様にするのも大事な役割なのではないかな、と気付いた今年の夏でした。
そして私意外にローマ遺跡好き、という事を知り、新たな自分も発見しました。
ローマ遺跡に興味のある方には、意外におすすめです、チュニジア。
ついでに砂漠もありますからね、是非どうぞ。

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