表現は須らく自分を偽るべし

会話も行動も表現の一部ならそれは擬態である。
まさか、自然体とかありのままの自分とか本当の自分とかを求めているなら、せめて諧謔を残して欲しい。

孤独は悲哀ではなく傲慢の極致と知った上でのお話だ。
影のない狂気の世界で棲み始める紅い双頭の蝸牛を飼育してる。
それを僕に誇示するのは人の心を試す悪い癖だから止めた方がよいと思うけど。

怒り心頭に発し机に叩きつけた書類を落涙を堪えながら集めるお前がどう思おうと叩きつけた奴の行為は立派に左遷の理由になる。

子猫のように戯れるふたりには埋められない傷口が化膿してうまく歩けない。
真夜中の降りるはずのない踏切で轢死体が見つかるのはまだ三時間後のこと。