あの頃僕らはアホでした
アホな子供に教える話がちらほら見える。
かくいう自分も中学1年でいきなり勉強ができなくなったアホなタイプでもある。
国語がダメだった。
いきなり文章が難しくなった、何を書いているのかさっぱりわからなかった。
数学がダメだった。xとかyとかマジで意味がわからなかった。
理科がダメだった。
星の名前も地層の名前も電池の中身も覚えられなかった。
社会がダメだった。
みんな漢字ばかりで頭に入ってこなかった。モノクロの地図を見てもどこが海だかわからなかった。
英語がダメだった。
宇宙語にしか思えなかったし、筆記体は解読できなかった(デスメタルバンドのロゴは読めるのに)。
体育がダメだった。
絶望的に瞬発力が無く、足も遅く、本気を出して走ってもマジメにやれと随分と怒られた。
美術がダメだった。
メッセージ性を込めた渾身のポスターはシンプルすぎると全く評価されなかった。
技術がダメだった。
手先は不器用だったし、電気回路の解読はナスカの地上絵よりも難しかった。
家庭科がダメたった。
ミシンの構造の時点でギブアップだった。
音楽は、、、かろうじて五線譜が読めたから少し救いはあったが、絶望的に音痴だった。
何がわからないのかもわからなかった。でも何とか必死に勉強したが、全くもってついていけなかった。
私立の進学校ではない。田舎の公立学校の話である。
全身全霊で臨んだ期末テストの通知表は3が並んだ。4がひとつだけあった気がする。
ふ、、、よくできた、、、
猛烈な鍔迫り合いの末に一刀両断してやった侍の気分で満足感に浸っていた。
よくわからんが、むーーーーーーーーちゃくちゃ怒られた。
その結果どうなった。
拗らせた。
こんなに頑張ってもできないし、なんか成績上がらないとダメっぽいし、もう勉強しないもんね。どうせやったってできないんだもんね。
ひたすら時間が過ぎるのを待っていた。
死んだように生きていた。
かと言って運動ができる訳でもなく、とりわけて熱中するものがなかった。
この国で日本語が読めて電卓があれば計算はできれば、とりあえず死ぬ事はなかった。
コンプレックスだらけでも、何かひとつ輝くものを見つけ、愚直にそれを磨き続けてきて開花させた人もいる。
そんな人が羨ましくてたまらなかった。バネにする以上に学習された無力感は精神にこびりついていた。
思考を停止したまま、ここでくたばるものだと思っていた27歳という見えないデッドラインをあっさり越えて、これから全部が余生だと思うのも少し勿体ないような気がしてきた。
できるだけ早く病気になるように愛煙してきたけど、だんだんと体に合わなくなって、そのまま吸わなくなった。
意識がはっきりしている時間を避けるように飲み歩いていたのが、いつの間にか酒場から足は遠のいた。
アホな中学生だった頃の両親の年齢にも近くなった。
シンイチに寄生したばかりのミギーのように貪るように情報に触れている。
自分から発信するものが ーその品質と量がどうであるにせよー あれやこれやといろんなものが出てきた。
何が起こったのだろう。劇的なものは何もないように思う。
生きる意味とか、生きがいとか、そんなものはどうでも良くて、ただ何となくこのまま人生終わるのはちょっともったいないような気がした。
そんな思いが1mmずつ何かを変えて行ったのかもしれない。
道を踏み外したアホな子供は、どこかでまた道を踏み外して情報中毒になり、ゾンビのように岩波文庫を読む大人になった。
今でもアホなままじゃないか、と言われてしまえばそれまでだが、どう転ぶかわからない人生というクソゲーをそこそこ楽しんでいる。
ゲーム史上最大の発明は課金システムであると言われている。
その恩恵に預かり前半サボった分のレベル上げは課金して何とかしている。
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