やりたいことはやりたいときにやれ
はじめまして。
書くことが何かのきっかけになればと思い、この投稿からスタートしてみました。
普通の会社員してます。
今の会社ではデジマを担当していてウェブサイトや動画や記事コンテンツなどをプロの人にお願いしたり自分で作ったりして、自社の商品をオンライン上で盛り上げてる仕事してます。
今の会社は3社目になります。
そのまえは映像プロデューサーをしてまして、広告用の動画を多数手がけてました。
映像は好きですし、もっというと普通に映画が好きです。
映画にはまったきっかけは、高校生の時に中野の名画座でみた「時計じかけのオレンジ」でした。ちなみに「未来世紀ブラジル」と併映という今考えても最高の組み合わせでした。
「時計じかけのオレンジ」はもちろん映画好きの間では出尽くされてる感があるほどのマイフェイバリットムービーの代表作みたいになってますが、これを観たとき初めて映画の没入感、「これは観てるんじゃなくて立ち会っている」という感情というか気持ちが生まれたのをいまでも覚えてます。
そうした没入感を体験できたのはあとは「ベニスに死す」くらいでこれも確か高校生の時にオールナイトで観ました。ちなみにこちらも併映が「暗殺の森」というめちゃ豪華な組み合わせでしたが、じつは「暗殺の森」は途中寝てしまいました。
そう思うと、忘れられない映画体験というものがあるとしたら、自分は高校の時にしか体験していません。というか高校生のときの多感なときにみたからこそ体験できたんだと思います。
あの頃に戻りたいという感情が起きたことは自分にはないのですが、映画に没入できた・立ち会えた体験をできることなら戻りたいと初めて思ってきました。
つまり、人は、年を重ねることにひとつのことに没入することができなくなってくるんだと思うのです。自分の経験上の話ですが。
それにはいろんな理由があるんだと思いますが、いろいろ経験してきたからこそいろいろな雑念・煩悩にとらわれてしまう。
いまだとわかりやすいのがスマホなんかがその象徴なんだと思うのです。
だから、最近強く思うのが「やりたいことはやりたいときにやれ」ということ。
よく人は、集中力を要する本や映画や趣味などは、年をとって時間がたっぷりあるときの楽しみにとっておくとかいうのですが、これは違うとはっきり言えます。
年をとると気力体力が衰えて生きてきた分のしがらみやルールに縛られて、毎日毎時間毎秒生きていくので精一杯になってるはずで、そこで老後の楽しみにとっておいてあるものやことを味わうことは無理なんだと思うのです。
いつからそんな思いに至ったのか、誰の意見に影響されたのかははっきりとわからないのですが、いまの自分はそう確信してるので「やりたいことはやりたいときにやれ」を自分のルールとしています。
もっというといつ死ぬかわからないですし。ま、極端な話ですが。
自分のやりたいことは昔に比べると実際少なくなっています。
いまは生きるので精一杯までいかないにしても、毎日の自分の生活をキープしていくことに時間と労力と頭を使っています。
これはこれで大事なんでしょうが、それが自分が本当にやりたいことかというとそんなことはない!と言いたくもなります。
ただ一つ、昔から変わらないやりたいことの一つは映画を作ること。
あるいは映画を作れる状況にないのならばストーリーをつくること。
自分の好きな映画には2つ嗜好があります。
ひとつは「脳に刺激をもたらす映画」。
もうひとつは「泣ける映画」。
ひとつめの嗜好にあるマイフェイバリットムービーの代表は
「ラルジャン」
「一条さゆり 濡れた欲情」
「13回の新月がある年に」
「ジャッカルの日」
「突破口」
ふたつめの嗜好では
「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」
「遊び」
「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」
で、どっちの嗜好が自分のマイフェイバリットなのかと問われても、答えることができず、映画の芸術性でいえばひとつめのほうだろうというのが易しいのですが、それも言ってて興ざめしてしまいます。
要はそれに没入できるかできないかということが、自分にとっては大事なことなんだと思います。
そして、自分も何か作るのならば没入できる作品なのかなにかをこのさき作っていきたい。
それは人に何か影響を与えられるもの、自分の存在を世に知らしめたいという気持ちと同じことなんでしょう。メガロマニアぽくてこう書いてると引いてる自分がいるのですが、お許しください。
こうして書くことによって自分の創作するきっかけがうまれてきたら面白いことですし、書くことによって自分の今が整理されて可視化されていくことはいいことだと思うので、しばらくこれは続けていきます。
長文にお付き合いくださいましてありがとうございました。
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