留学中に初期投資ほぼゼロでしょぼいバスケットチームを作った話。
こんにちは、ナガノです。
私は6年間海外に留学していました。
今回は私が留学中にしょぼい起業をした話をしようと思います。
海外の部活
留学前からバスケは好きだったので自然な流れで留学先の学校のバスケ部に入ることにな
った。
日本の部活のように毎日練習があるわけではなかったのでバスケができる時間は限られて
いた。
週2日の練習で練習時間は2時間ぐらい。
かなり短い練習時間なので量より質をかなり重視した練習内容になってた気がする。
当時はもっともっとバスケがしたいと思い、家の近くの公園でバスケットコートを探した。
ストリートボール
公園には必ずって言っていいほど、バスケットコートがある国だったので部活が少なくても練習する場所はいくらでもあった。
公園でやるバスケはストリートボールって言って簡略化されたルールで行う。
例えるならフットサルとサッカーぐらい違う気がする。
日本でストリートボールが流行っていないのは部活でバスケができる環境が整っているからだと思います。
日本はスポーツ環境に恵まれている国なのだと今更思う。
オーストリアは練習や試合、ユニフォームなどとにかく資金がかさみます。
練習と試合だけで、季節ごとに500ドル(5万ぐらい)かかるとかはよくある話だ。
クラブチームに入るとさらにお金がかかる
半年だけクラブチームに入って一回やめて貯金した後に入る人もいます。
公園で練習する人は貧しい家の出身が多くクラブチームに入りたくても入れない、という人もいる。
オーストリアは裕福の国ではあるけどスポーツにおいてはそこまで裕福ではないようだった。
貧富の差は激しかったがバスケをやる人と何故か私は馬が合った。
英語が得意ではなくてもバスケの実力があれば認めてくれる環境が私には最高だったのかもしれない。
ストリートでバスケをするようになって色んな公園に行くようになった。
公園ではグループのテリトリーみたいなのがあったが道場破りみたいに1on1を仕掛けたりして仲良くなれた。
留学しているのに勉強もろくにしないでバスケ漬けの日々を過ごした。
クリスとの出会い
私が通っていた公園に30代の長身、無職のおっさんクリスとよくバスケをやった。
クリスは運転するのが怖かったり仕事が嫌でやめてしまったりする実家暮らしのニートだったがかなりアクティブなニートだった。
クリスはバスケをする以外にバスケの試合や選手の動画、写真等をネット上で公開して小銭を稼いでいた。
私は毎日のように公園でバスケに明け暮れ、友達も多かったのでそこに目をつけたクリスから「一緒にバスケチームを作らないか」と打診されました。
俺はバスケができてお金も貰えるなら断る理由もなく即答で“ok”
チーム作り
ーからチームを作ろうとなるとかなり難しいものです。
しかし、2年以上、公園でバスケをしてきたお陰で思いの外、メンバーは集まってくれました。
知らない間に“営業”みたいなことを2年間でやってのけてたらしい。
最初は年齢層もバラバラだったが集まったメンバーで近くのリーグ戦に登録した。
リーグ戦で成績を残せばもっと集客できると思ったからです。
リーグ戦には勝つにはチームとして練習しなければいけないが場所も人材も資金もない。
しかし、意外にも練習場所は公園で正直全く困らなかった。
ボールはあるしユニフォームは友達が譲ってくれたり、さらに勝手に公園のゴールにネットを付けたりコートの線を勝手に塗り直して設備を整えることもできた。
当然クオリティは低いが練習や試合がチームとしてできないレベルではなかった。
かなり低コストでしょぼいバスケットチームの設立は成功した。
色々安いためか入りたい人はすぐに見つけることができた。
あとの細かい作業はクリスが担当して私は基本的に表舞台で練習したり試合をしたりメンバーを募集したりした。
リーグ戦
バラバラなチームでリーグ戦に挑んだがほぼ全敗。
全く勝てないので集客のことを考えている暇もなかった。
選手達はストリートでしかやったことないので基礎が全くなかったのかもしれない。
負けが続いたが1週間に4~5人ぐらいは入部希望者が現れた。
低コストでバスケの試合や練習ができるし、アクセスも良かったのが魅力的だったのかもしれない。
始めてーヶ月ぐらいで30人以上集まった1つのチームには多すぎたのでもう1つチームを作ることなった。
チームとしてはとりあえずは成功した。
バスケットチームの運営
チームの運営と言ってもそんな大袈裟なことはそもそもできないしやっていない。
練習はグループで練習時間と場所を指定して集まるだけ、の簡単なものだった。
練習内容もyoutubeで見たことを真似るなどし
た。
メンバーが試合を好むので、練習試合がメインだった。
私はプレイをしつつコーチもしていたがかなりいい加減なコーチだった気がする。
試合を組んだり、金銭面を管理などは全面的にクリスに任せてた。
初めてニヶ月ぐらいで少しだけお小遣い程度のお金が入ってくるようになった。
1年経ってもチームは勝てはしないが年齢別でチームが組めるほど大きくなっていった。
選手が多くなり人手不足だったため友達のお父さんに面倒を見てもらったりしてた。
高校卒業までチームの運営を基本的に二人で行っていた。
色々問題が発生したけどチームの運営を初期投資ほぼO円で始めた割には大成功だと思う。
当時はチームに人が集まり継続できたのは自分の人望のお陰だとか思っていたが、低リスク、2年以上毎日通っていたので信頼関係が自然と構築、さらに試合に出れるチャンス作れたことが偶然噛み合いチームが継続できたのだと思う。
たまたまうまくいっただけだと思うがあの時に即答で"ok"って言えたからチャンスを掴めたのだろう。
良くも悪くも、間違いなく私の留学人生を変えた出来事だった。
卒業後
卒業後私は日本に帰りチームはクリスに任せて今はどうなっているかはわからない。
携われないチームにはあまり興味は持てないのであまり気にはならない。
チームのメンバーが一度私を訪ねて日本にきてくれたことはあったがそれっきりだ。
あんなに好きだったバスケは今では全くやらなくなった。
大学のバスケサークルに入っても心から楽しめず、すぐにやめてしまいました。
色々な公園で色々な人間に会うのが楽しかったし、公園で出会ったみんなにチームを提供できたのが嬉しかったからバスケを続けることができただけかもしれない。
今では手話サークルに入ったり東京で昆虫採集を始めたりカフェ&バーをオープン予定だったりよくわからんことをしている。
結局、人生何が起きるかよくわからないなーと感じた。
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