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永遠に「友達の友達」で いたい「家族」

永遠に「友達の友達」でいたい「家族」。
そんな関係性の知人がいる。


今日はその人の話をしようと思う。


月曜日の朝

2014年11月。19歳の秋。月曜日の朝。
私は その日 岡山の祖母の家にいて、ぼんやりと ニュースを眺めていた。

午前5時頃、旭川方向に走っていた乗用車が対向車線にはみ出し、前からきたトレーラーと正面衝突しました。衝突の勢いでしょうか。乗用車は運転席を含め大破しているのがわかります。

旭川は 北海道の都市の1つで、私の地元。
「北海道の交通事故のニュースって、岡山でもやるんだ」 そう思ったのを覚えている。

この事故で、乗用車を運転していたーー市の大学院生・ーーーーさん(24)が死亡、

画面に釘付けになった。知っている名前だった。
何度か話したことがある大学の先輩。

人違いを願ったけど、ーー市出身って言ってたし、年齢も24。
これは私の知っている「ーーーーさん」だ。


助手席に乗っていた20歳と見られる女性は意識不明の重体……

とニュースが続いた。心臓の音がはやくなるのを感じた。

親友が同じサークルに所属していた。
大学に入って一番最初にできた親友。

彼女はその日、サークルの仲間と旅行に出かけると言っていた。

彼女じゃないはず。だって、彼女は20歳じゃなくて19歳。きっと違う…….。


「元気?」と LINEを送ってみる。既読が、、、つきますように。
しかし、そのLINEはいつまで経っても未読のままだった。


水曜日の昼

2日が過ぎた。

この2日間、ずっとスマホでニュースの続報を検索していた。しかし情報が更新されることはなかった。

世の中は 無情にも 何もなかったように進んでいく。今日もまた全国各地で何かが起きて、新しいニュースが次々と放送されていく。放映の瞬間は 心を痛めたであろう彼女の交通事故のニュースも、もう すっかり忘れ去られてしまっているようで。流れていく情報の中、私だけが立ち止まっている。


大学の食堂を出たところで、同じサークルに所属する知人を見つけた。数回話したことがあるだけ。けれど、思わず声をかけた。



顔がくもる知人。



やっぱり。
嫌な予感というものは、当たるようにできている。


意識不明重体の女性は、彼女だった。
彼女は今 3時間離れた 病院にいるらしい。



連絡先を交換し、礼を言って その場を去った。
その時の私は 「とりあえず 今日は 授業があるから 土曜日になったら病院に行こう」と決めた。

なんとか授業に行ったものの、集中なんて できるはずなかった。教授の言葉が一切 耳に入ってこない。私は ただただ 呆然としていた。ひたすら 彼女の回復を願った。



土曜日の朝

彼女の病院へ向かう予定の土曜日の朝。
布団から起き上がり、出発の準備をしようと スマホに手を伸ばした その時。

ショートメッセージが届いた。



彼女の息は ついさっき途絶えたらしい。



連絡をもらった瞬間、私は 強く後悔した。


なんで すぐに病院に行かなかったんだろう。
どうして 「授業が最優先だ」と 決めつけてしまっていたのだろう。
全てを投げ出して 駆けつけることもできたはずなのに。

自分の選択を悔いた。

ついこないだ 会ったばかりなのに。
これから行く予定の旅について楽しそうに教えてくれたばかりなのに。


彼女はもういない。


人ってこんなにも簡単に死ぬんだ。

これまでお葬式に行ったことはあれど、ひいおばあちゃんとか、おじいちゃんとか。人は寿命で死ぬもんだと思い込んでいた。


でも、そうじゃなかった。





出逢いは、「遭遇」


彼女の実家は道外で、大学の近くのマンションで一人暮らしをしていた。
何度も遊びに行った マンション。

彼女の両親から連絡があった。

部屋を片付けるから 手伝ってほしい。
私たちには 娘のものかどうか がわからないから、もし借りていたものとかあれば返したい。もし 使えるものがあるのなら、よければ 持っていってほしい。

そんな感じの内容だった。
日時を決めて、いざ 当日。



その場に もう1人 居合わせた男がいた。
(厳密にいうと、私、私の友人、その男、その男の友人だけど)


「あ、どうも、きむらって言います」
背の高い男が 名乗った。


あ、知ってる。
「きむら」という名前は、彼女の口から何度も 聞いたことがあった。


その年は W杯の年で、2014年6月12日から7月13日にかけて、ブラジルで開催されていたらしい。

彼女は クラスメートと、ずっとテレビで W杯を見ていたと言っていた。
深夜に試合があるから、結局 自宅に帰らずに そこで朝を迎え、もはや そこに住み着いてたって。

いつも耳にしていた 仲良し5人組のうちの1人。


それが、木村裕との出逢いだった。 
「遭遇した」という表現が一番 しっくりくる。


友達の友達、ってやつだ。


親戚が増えた


雪の残る3月。
事故から数ヶ月経って、彼女の実家へ遊びに 福井に行った。


親友のいない、親友の実家。

美味しい回転寿司に連れて行ってもらって、恐竜博物館に行ったり、永平寺に行ったり、東尋坊や、日本海に浮かぶ 日本地図型の岩を眺めたり。


別れ際 「きてくれて、ありがとう」と 目を真っ赤にしながらオカンに 抱きしめられた。

茉里依ちゃんと(友人)ちゃんは、我が家の娘として認定されました!
いつでも福井に帰って来てね (*⌒▽⌒*)

茉里依ちゃんと(友人)は私たちの心の支えです。
本当に会えて嬉しかったよ。
これからも末永く福井のオトン、オカンとお付き合いしてね(*⌒▽⌒*)

空港に迎えに来てもらって、ご飯に連れてってもらって、遊びにも連れてってもらって、しまいにはお小遣いまで もらって帰ってきた。

一銭たりとも払わず、お金を遣わせまくったにもかかわらず、あんなにも喜んでもらえて、嬉しかった。




彼女とのことがあって以来、たまに話す距離になっていた「友達の友達」の きむら に、このことを話した。


すると、きむらからこう返ってきた。


「俺も、石川家の息子やで って言われてるわ」



え、、、、 家族やん。笑



成人してから 同世代の兄弟が増えるというね。



それからの きむらとの話

それから、きむらとは「友達の友達」として、ときには「家族」として、8年の時を過ごしてきた。

礼文島にいったり、一緒に福井に帰省をしたり、熊本の私の職場に呼んでみたり、大阪で自転車を2年 借りパクしたり、私の結婚パーティーの司会を無茶振りしたり。


大企業に入社したかと思いきや、1ヶ月ちょっとでやめたのには笑った。
さすがに早すぎやろ。

北海道出身じゃないのに、私より北海道を愛して、北海道に住み着いた。シェアハウスの管理人をやってたと思ったら、今度はすすきので Barを始めたらしい。

これからも絶妙な距離感で付き合っていくんだろうな、と思う。




そんな 木村が今、こんな奨学金の募集を受け付けています。
スマホ1つで、5分で応募できちゃうので、よければぜひ。

https://outakemary.jp/2023/01/05/kimurayu1/


もうちょっと、木村の人生には刺激があったほうが「らしい」んじゃないかな、と思って。

これを読んでいる あなたが彼の人生にハプニングを起こしてくれることを願っています。



それからの わたしの話


彼女の死をうけて、
「あぁ、自分も いつ死ぬかわからないな」と思うようになった。

「いつか やろう」と先延ばしにばかりしていたら、やらないまま 死んでしまうかもしれない。

「ありがとう」を今 伝えなかったら、伝えられないまま、離れ離れになってしまうかもしれない。


だから、私はあの日から

・今、自分が心惹かれたものに 素直に飛び込むこと
・あとまわしにしないこと。想いはすぐに伝えること
・その時 一番大切にしたいものを ちゃんと大切にすること

そんなことを 大切に生きようと決意した。


部屋の片付けをしたあの日、彼女の形見として ピアスをもらった。

もともと ピアスの穴を開けるつもりはなかった。なんか怖いし。
でも、彼女のピアスを付けたくて 病院に行って穴を開けた。両耳は怖かったから 片耳だけ。

いつまでも彼女のことを忘れないように。
ピアスを通すたびに「悔いなく生きるぞ」とあの日のことを思い出せるように。




先日、福井のオトンとオカンに 我が子をみせに行った。

2022年6月誕生。このとき生後5ヶ月。


「初孫やねぇ〜〜〜」と、すごく嬉しそうだった。
私も嬉しかった。

ちゃっかりお年玉も もらってきた。本当にもらってばかりだ。


我が子には 全国各地に「おじいちゃん」「おばあちゃん」がいっぱい いる。
我が子の成長を一緒に喜んでくれる人がたくさんいるのは 幸せなことだ。

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