老いて体の自由がきかなくなる。平均寿命が長い日本において、いつかそんな日が自分にも自然とやってくるかもしれません。
自分の力だけでは、心地よくくらすことも、生命を維持するための動作もままならなくなってしまったとき、自分だったらどんな選択をとりたいと思うのでしょうか。現実を受け入れ、静かに終わりを待つのか、それとも、人に手助けしてもらいながら、精一杯生きていくのか…
”生ききることに向き合う”ことをコンセプトにかかげ、利用者さんに最後まで生をまっとうしてもらうことに向き合う櫻想。そこでみつめている介護のお話は、そんな問いを投げかけられているようでした。
プロフィール
利用者さんの内面と向き合うこと=”介護”
以前働いていた介護施設で、理念や目標がおざなりになっていたり、そもそも存在していなかったり、経営方針がよく変わったり・・・それによって現場が振り回されてしまう構造に嫌気が差していた櫻井さん。でも、そこで抱いていた介護業界に対する違和感が、”生ききるということ”を大切にする今の姿勢につながっていると話します。
櫻井さんが介護にたずさわっていくなかで、利用者さんの生活の介助だけでは解決できないことや手助けできないことも、介護には多様に含まれているということに気づいていったんだそうです。
介護の技術提供に限らず、その根っこの部分である利用者さんの内面にじっくり向きあっていく。それは、一般的に介護と呼ばれる世界からは離れていく一方で、そこにこそ、介護の本質があるのではないかと諸橋さんはいいます。
死は誰にでも待っている未来ですが、 毎日そのことを考えて生きてる人はごくわずか。だからいい悪いというわけじゃなく、必ず誰にも訪れるものだから、死の瞬間の苦痛はできるだけ少ない方がいいじゃないですか、と櫻井さんは笑います。
でも、人が日々いろんなことを考えて生きていくなかで、いいこともあるし、後悔や悩みといったマイナス面を受け止めていかないといけないこともあります。
そこをひとりで考え続けられるような人はなかなかいないからこそ、介護をとおして出会った利用者さんと最後まで向き合って、いっしょに考え続けたいと櫻井さんは話します。
介護の技術を提供しているのは、利用者さんの生活時間のほんの数分。でも、そこで利用者さんの変化をみることができる瞬間が、櫻井さんにとって大切な時間だといいます。
そのなかで、自分たちでも予想していなかったようなような手段を使うこともあるし、 それによって経験を積んでいろんな策を編み出して、トライアンドエラーを繰り返して開発していく。それは一種の商品開発とも似たような工程かもしれないと諸橋さんはいいます。
生かされるのではなく、生きてもらいたい
日々の介護は、利用者さんの反応をみながら試してみることの連続だそうです。「この時間にオムツをこう留めておいたら、次は漏れないかな」「タンスの位置をちょっと変えてみたら、落ち着いて寝られるかな」など、「これをやったら、あれをやめたら、こんな話し方をしてみたら」と少しずつ模索しながら、利用者さんにとってより効果的な方法をみつけていきます。
櫻想では、ある利用者さんの左手が麻痺していて、加えて右手もちょっと動きづらくなってきたとき、「右手を使って自分のできることは、やってください」のひとことでは終わらせません。
利用者さんと丁寧に会話しながら、利用者さんが生きるために自分で考え、自らの意思で動き続けられる方法を一緒にさがしていきます。
介護となると、つい「手助けがあたりまえ」となりがちですが、”生ききることに向き合う”という理念をかかげる櫻想では、利用者さんがひとつひとつの小さな”生きる”を積み重ねていけるようにサポートする姿勢を忘れません。
組織に属している方が、よっぽど楽な部分もある。でも、それでは実現できないことがある。
次回も引き続き、介護業界を変えたいと願う諸橋さんと櫻井さんの目に写る、ここから先の長い道のりについて、少しずつお話をうかがっていきたいと思います。