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自分の人生を最後まで生きぬいてもらいたい

老いて体の自由がきかなくなる。平均寿命が長い日本において、いつかそんな日が自分にも自然とやってくるかもしれません。

自分の力だけでは、心地よくくらすことも、生命を維持するための動作もままならなくなってしまったとき、自分だったらどんな選択をとりたいと思うのでしょうか。現実を受け入れ、静かに終わりを待つのか、それとも、人に手助けしてもらいながら、精一杯生きていくのか…

”生ききることに向き合う”ことをコンセプトにかかげ、利用者さんに最後まで生をまっとうしてもらうことに向き合う櫻想。そこでみつめている介護のお話は、そんな問いを投げかけられているようでした。


プロフィール

櫻井さん
看護学生を経て医療業界から介護の世界へ。介護福祉士として20年間、多種多様な現場を経験する。利用者も職員も自分らしくいられる場所を見つけられるといいなと願いながら、職務に従事する。

諸橋さん
関東を中心に、新規事業立ち上げの書類整備から、介護職員、営業、管理業務等、介護医療現場のすべての業務に従事した経験を持つ。2021年5月より株式会社櫻想の代表取締役・訪問介護事業所侍の管理者を務める。
侍の仲間とともに、高齢者を中心に、障害や病気等の要因で生活に困窮している方々の生活全般における支援に日夜取り組んでいる。

利用者さんの内面と向き合うこと=”介護”

以前働いていた介護施設で、理念や目標がおざなりになっていたり、そもそも存在していなかったり、経営方針がよく変わったり・・・それによって現場が振り回されてしまう構造に嫌気が差していた櫻井さん。でも、そこで抱いていた介護業界に対する違和感が、”生ききるということ”を大切にする今の姿勢につながっていると話します。

櫻井さん:
以前は、介護というのは技術を提供するだけのものだと思っていました。たとえば、食事介助や入浴介助 、買い物のお手伝いといった生活を支えるものですね。

そうやって自分が動くことで、利用者さんの命を守ったり、支えたりするものを介護ととらえていました。でも今はそこの技術だけじゃなく、利用者さんの内面と向き合うことの方が本来の”介護”と考えています。

櫻井さんが介護にたずさわっていくなかで、利用者さんの生活の介助だけでは解決できないことや手助けできないことも、介護には多様に含まれているということに気づいていったんだそうです。

櫻井さん:
生活を支えるというのを通り越して、利用者さんの心臓がとまる瞬間まで、その人に関わっていきたい。最後の瞬間まで、どこに向かっていくのかを一緒に考えていたいんです。

たとえば、体のどこかが痛い利用者さんに対して、わたしの考えでは、病院に行った方がいいと思っていたとしても、まず自分の意見は言わないで、本人がどう思うのかというのを聞き出したい。

その人の本心を聞きたいんです。

介護の技術提供に限らず、その根っこの部分である利用者さんの内面にじっくり向きあっていく。それは、一般的に介護と呼ばれる世界からは離れていく一方で、そこにこそ、介護の本質があるのではないかと諸橋さんはいいます。

死は誰にでも待っている未来ですが、 毎日そのことを考えて生きてる人はごくわずか。だからいい悪いというわけじゃなく、必ず誰にも訪れるものだから、死の瞬間の苦痛はできるだけ少ない方がいいじゃないですか、と櫻井さんは笑います。

でも、人が日々いろんなことを考えて生きていくなかで、いいこともあるし、後悔や悩みといったマイナス面を受け止めていかないといけないこともあります。

そこをひとりで考え続けられるような人はなかなかいないからこそ、介護をとおして出会った利用者さんと最後まで向き合って、いっしょに考え続けたいと櫻井さんは話します。

取材中も電話が鳴るとさっと応答し、現場に入っている職員の方と利用者さんの状況やサポートについて話し込む。櫻井さんの介護という職に対する姿勢が垣間見えます。

櫻井さん:
利用者さんが「なにを望んでいるのか」をみつめたうえで、わたしに具体的になにができるかといったら、介護の技術を提供することなんだと思います。

介護の技術を提供しているのは、利用者さんの生活時間のほんの数分。でも、そこで利用者さんの変化をみることができる瞬間が、櫻井さんにとって大切な時間だといいます。

専門職の現場だけに介護を閉じ込めず、「ひらかれたものにしたい」と考えている櫻井さん。櫻想には、職員のお子さんも自然に出入りしています。  

諸橋さん:
利用者さんが口にしてくれた「生きたい」という思いや、利用者さんの描いている生きる目的や存在している目的に向かって、利用者さんだけではできない部分をぼくたち介護士が担う。

介護技術は、「こうしたい」「こうありたい」という利用者さんの想いを受け止め、それを叶えて生きていくために、利用者さん自身ではできない部分を提供することなんだと思っています。

オムツ交換や入浴介助などの介護技術はわかりやすいですが、そうではなく、声をかけるだけで支援が終わることもあります。いろんなアプローチが山ほどある中で、どの言葉や手段を使うのかは、 介護士が自分で考えるしかないんですよね。

そのなかで、自分たちでも予想していなかったようなような手段を使うこともあるし、 それによって経験を積んでいろんな策を編み出して、トライアンドエラーを繰り返して開発していく。それは一種の商品開発とも似たような工程かもしれないと諸橋さんはいいます。

諸橋さん:
社会の発展と共にどんどん進化していく技術もある一方、人の本音を聞いたり、引き出したりするような微妙な言い回しや、言葉づかいや言葉掛け、その人を知り、そして見ていくという技術は、ぼくらでアップデートしていく必要があります。

それら全てを介護技術と呼んでもいいのかもしれません。

なごやかながら、お互いに仕事に関して妥協はしないプロ意識が感じられます。

生かされるのではなく、生きてもらいたい

日々の介護は、利用者さんの反応をみながら試してみることの連続だそうです。「この時間にオムツをこう留めておいたら、次は漏れないかな」「タンスの位置をちょっと変えてみたら、落ち着いて寝られるかな」など、「これをやったら、あれをやめたら、こんな話し方をしてみたら」と少しずつ模索しながら、利用者さんにとってより効果的な方法をみつけていきます。

櫻井さん:
ひとつひとつは小さなことでも、それが心の落ち着きにつながって、ご飯もしっかり食べれるようになるという変化が生まれたりする。良くない変化もしばしばあるので、常に変わっていくものであるということを、感じ取りながら。

利用者さんのとなりで、そういう変化を見ていきたいと思っています。

櫻想では、ある利用者さんの左手が麻痺していて、加えて右手もちょっと動きづらくなってきたとき、「右手を使って自分のできることは、やってください」のひとことでは終わらせません。

利用者さんと丁寧に会話しながら、利用者さんが生きるために自分で考え、自らの意思で動き続けられる方法を一緒にさがしていきます。

櫻井さん:
「右手はどこまでいくの?そこまでいくんだね。左手は?右手をここまで持ってきたらどう?」など会話をしていくことで、自分の能力や身の回りのものを応用して、利用者さん自身が、自分の環境を整えて生きていくための工夫を始めるんです。

私たちは、そうやって行動し始めた利用者さんをよく見て、どうしても身体をうまく使えなかったり動かなかったりする部分のみ、利用者さんが気づかない程度にそっとサポートします。

介護となると、つい「手助けがあたりまえ」となりがちですが、”生ききることに向き合う”という理念をかかげる櫻想では、利用者さんがひとつひとつの小さな”生きる”を積み重ねていけるようにサポートする姿勢を忘れません。

諸橋さん:
工夫すれば自分でできることまで周りにやってもらってばかりいたら、それは生きているのではなく、生かされているんですよね。

そのレールに一度乗ってしまったら、人はなかなか還ってこられない。楽を覚えてしまうと、もう戻れないし、生きる目的をだんだん見失ってしまうんです。

雇われている身では、そういう細かいところにちゃんと向き合える時間と予算をつくることが、なかなか難しいことも多かったんです。自分もそうだし、一緒に働くスタッフにも用意することができなかった。

だから、櫻想をたちあげました。

組織に属している方が、よっぽど楽な部分もある。でも、それでは実現できないことがある。

次回も引き続き、介護業界を変えたいと願う諸橋さんと櫻井さんの目に写る、ここから先の長い道のりについて、少しずつお話をうかがっていきたいと思います。


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