シンプルに考えるため 人生を達観してしまおう

何が起こるか分からない。
それはこの自然界を生きる私たちにとっては
皆同じです。

それ以外のところで。
達観してしまおうと言うその理由は、
迷いその都度に悪戦苦闘しなければいけないからです。
これは言葉は悪い、幼いかもしれませんが
正直とても面倒くさいです。
自分なりに?達観してしまおうというのが
このエッセイです。

そうしないと流されあっちへいって
こっちへいって、とブレますし
一喜一憂しなければならない。

達観について。
首をついつい振りたくなる事実ですが、
この私たちの人生は大変なことが多い。

会社に入って、と考えてみましょう。
新入りの頃は仕事を覚えるのに必死、
仕事を覚えてきたら今度は人間関係。
上の立場になればきっと責任に
大変な想いをしなければならない。

恋愛や家庭について。
恋人がいるいないで悩む思春期だとか。
家庭が出来て子供が出来たらいろいろまた
問題が出てくる。
年を取れば今度は健康状態も心配ばかりになるでしょう。

つまりは、
自分の能力性質などは変わる値に限界値があり、
一歩ずつの努力で家は建つだろうが、
いろいろあって大変なことが多いのは
事実としてこれ変わらないというか。

だけどそれは嫌なので
今の楽しみを死ぬまで追いかけ続けるのも人なのでしょう。
そして本当の意味で苦しみ迷いのない
夢の世界もあるのかもしれない。
もしかしたらそんな輝き幸せが。

・・・・・・・だけどこれはこのエッセイの内容ではない。
言いたいことは大変なことは変わらない、
自分の出来ることには限界値があり、
自分も変わらない。
その部分です。

一部分を凝視すると多角的な世界が見えなくなり慌てますが、
いろんな部分を多面的によくよく見てみれば
答えという答えはない。
変わらない自分がそこにいるだけ。

注意点としては、
もちろん健康自分の管理に留意しなければ
れっきとした体の病気になるでしょうし、
社会的に問題を起こせばそれ相応のツケには
応じなければならない。
この辺りはあえて言う必要もないかもしれませんが。

まとめると・・・・・。
不安定な世界を生きているのは
僕らは皆同じ。
それ以外のところでは達観が可能である。
・・・・・これは人生の楽観視である。

こんな感じでしょうか。
ここまで分かればあとはシンプルに考えていくだけな気がします、笑。

ちなみに、
こういった達観視が
難しい人はそれが出来るようになるまでは
人生勉強を積む必要があるかもしれません。

ここまで。
ご読了ありがとうございました。






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