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記憶の一貫性。

僕は外の様子をカーテンの隙間から覗いて見ていた。

窓の外にはグレーのコートを着た男が、冬の枯れ葉の積もる欅の木の通りに立っているのが見えた。

僕はその男に見覚えがあった。

その男は、朝も昼も夜も夜中も早朝も、その欅の木の袂にグレーのコートを着て、立っていた。
いつも立っている男を見ているから、見覚えがあると錯覚しているのだろうか。

それとも本当に顔見知りだったのだろうか。

自分の記憶に自信が持てなかった。

そんな事はしょっちゅうある。
横断歩道ですれ違う男女のカップルに、見覚えがある気がする時。

それは大概は記憶違いで、只の錯覚なのである。

アルバイトの書店に、文芸誌を買いに来る学生ほどの齢なのか、そんな女性。

文芸誌は書店では、数多く仕入れていない。

固定客が大体、決まっているからだ。

それでも僕は人の顔が覚えられないのか、その固定客が毎回、違う顔に見える。

記憶に一貫性が無いのだ。

記憶というのは、大概が不確かなもの。

そう思ったら、全てがあやふやに思えた。

槻の木の下に立つグレーコート氏は居なくなった。

それもこれも、全て錯覚なのかも知れない。

世の中の全ての感情は錯覚なのだ。

だけど、僕はその危うい錯覚かも知れない人と人との友愛を信じたい。

愛情を信じたい。


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