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自分でする方が早いとわかっていてもしてはいけない、というが本当にそうか?

自分でやった方が早い、とかつぶやくと
ひとに任せる方がよい、とよく言われる。

わたしも結構それを信じてきたところがあり、誰かにお願いすることでお願いしたひとも、お願いされたひとも成長できた実感がある。

しかし、最近、本当にそうなのか?と疑問に感じるシーンが増えていたので改めて考えてみた。

自分でする方が早いことでも、他人に任せることで得られるものがある。例えば、自分の時間ができるし、自分にしかできないことが見えてくる。他人に任せるためのコミュニケーション能力も上がるし、他人に成長の機会を提供することもできる。案外他人がやった方が早いことに気づくこともあれば、違うやり方が見えたりして、自分のやり方に固執しなくなる。

引き受ける側に立ったときのことを考えても、挑戦する機会になるし、新たな自分を見つけるきっかけにもなる。触れずに見てるのと自分がするのとでは違うということも気づくし、これまでやってくれてたひとへの感謝の気持ちも生まれる。メンバーが家庭や健康の理由で休んでも、補いあえるチームをつくることができる。するべきこととその方法が属人的にならず、標準化にもつながる。


と、ここまで書いて、ちょっと違和感。その正体は、「なんとなく上から目線」なところ。そう、これらは強者のストーリーだと気づいてしまった。

思い出して書いていくとき、わたしの頭のなかには、企業のなかで働くイメージがあった。短期的な速さよりも、長期的な育成や組織力づくりを重要視している。特にリーダー、上司、管理職が「他のひとにやらせる」ようなイメージ。

自分でする方が早いだろうことを、意を決して無理をしてでも誰かにお願いすることは、本当によいことなのだろうか。それぞれが自分の得意な領域を生かすことではないのだろうか。

自分でする方が早いと思っているのに他人に任せることが素晴らしいという論理がいつまで成り立つのだろうか?

複業・副業、働き方改革による生産性向上などの流れのなかで、早いひとがやっちゃう方がみんな幸せになるのでは?


ということで、気乗りしなかったことをやっている毎日を肯定してみた。


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