見出し画像

小さな生活を大事に

なんのために働くか、議論されるようになって久しい。
自己実現のために働く、好きを仕事に、が出たのも20年くらい前だろうか。
ライスワーク=食うための仕事、と割り切る話も同時に出てきた。
幸せのありかたを追究したり、チャレンジを賞賛する風潮もある。
社会貢献を仕事にしたい声も高まってきた。

いずれもその背景を実感してきたし、理解できる。
ライスワークだと割り切っていても、働きがいを求めてしまう。
好きを仕事にできても、生活を支える稼ぎがあってこそ。

自粛がムードから要請、さらには強制に移ろうとしている。
給料で働くサラリーマン(男性に限らないが便宜上このように呼ぶ)の恐怖は不景気による収入減や整理解雇だろう。仕事を失いたくないから、「保証付きの休業」命令が出るまでは、我慢して通勤し、密室で会議して、懇親の場に連れ出される。上司にお願いしても聞き入れられず、休めば同僚に負荷がかかる。派遣社員であれば休んだ分だけ収入が減る。

フリーランスの恐怖は案件がなくなることでの収入源や廃業だろう。見えていた仕事が急にキャンセルされ、提案のための訪問もできず、勉強会や交流会もオンラインだと隙間時間に情報収集するのも難しい。新規顧客との接点ができず、これまでの案件が棚上げになる。

経営者の場合にはこれらの恐怖はあらかじめ織り込み済みのはずで、一人雇用するにも、その人を路頭に迷わせないだけの仕事を作り出せるかどうか、常に考えていることだろう。しかし、どの業界でも2020年への期待は大きかったはずで、危機的状況はその翌年以降だと考えるのも少なくなかったはずだ。人手不足状態から一気に仕事不足状態に移るわけだから、BCP対応だけでなく、早急に戦略を書き換えなければならない。

経営者から見ると、サラリーマンもフリーランスも、自分と家族を養えばいいんだから、従業員と家族の長期的な責任を持つ苦労には敵わないと思える。しかしフリーランスにしたら、休んでも給料もらえるサラリーマンは恵まれてると見えるし、サラリーマンは、組織ルールに縛られず好きなことができるフリーランスの方が恵まれているように思える。

結局のところ、どんな立場であってもコロナの影響は厳しく、直面する時期と種類に違いはあれど、それぞれに痛みをともなっている。自分と違う立場を嫌悪している余裕はなくなっていく。

だからと言って、長期的な備えをしていなかった己が悪いのだ、という過剰な自己責任論は好きになれない。

落ち着いて、日々の生活を送ること。
これまでと同じ生活ではなく、いまできる最低限の生活をすること。
寝て起きて、食べて消化して、聞いて話す。
それができる幸せを見つける。
それができていない人がいたら、できる範囲で手を差し伸べよう。
わたしにできるのは、せめて一緒に居たり、繋がったりすること。
ただ、それだけ。

この記事が参加している募集

応援いただけると嬉しいです。 サポートしていただいた分は若い女性の育成にあてます。