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近所のお花屋さんで珍しいお花を買ってみたり

GWが明けて、10日経ったあたりから、仕事に対する、いわばコンプレックスのようなものが、ごっそり抜け落ちたような気がする。

わたしは、悲しかった。

仕事が忙しくないと、私のことなんて必要ないってことなんでしょ。と、心の奥底のメンヘラが疼く。

定時に帰ることが、恥ずかしいことだという思い込みがあった。

やることに追われる人が、うらやましくて、嫉妬して、追われない自分が恥ずかしくて、悔しくて、なるべくそんな現実を目に入れないように過ごしていた。

4月に初めての部署異動があり、飛び込んだ新しい環境に、私は戸惑っていた。

いや、暇すぎ!

それ以外にも小さな不満がたくさんあった。

  • 電子レンジがオンボロでお弁当のあたために2分30秒かかる

  • おまけに1台しかないから順番待ちで食べ始めるのが12時20分になることもある

  • トイレの個室の数が少ない

  • 机の下にいらない棚があって足を組めない

  • 自動販売機で電子マネーが使えない

なんとくだらない不満!と、笑われてしまいそうだ。

でも、私にとっては深刻だった。

そんな中でも、自分なりに、やりがい(というほど大げさなものではないが)を探したり、楽しむポイントを仕事の中にちりばめたりしていた。

そのちりばめた種が、ようやく芽吹いたということなのか、GWが明けて、10日経ったあたりから、仕事に対する、いわばコンプレックスのようなものが、ごっそり抜け落ちたような気がする。

それを自覚したのは、出先からの直帰で、いつもよりも1時間ほど早く帰れた日のこと。

なんだかとても気分がよくて、大好きなキムチ屋さんでキムチを一株買ってみたり、近所のお花屋さんで珍しいお花を買ってみたり、スーパーでいつもの1.5倍くらいのお値段の納豆(超大粒!)を買ってみたり、おまけに、いつもは守らない(車通りの少ない)短い横断歩道の信号を守ってみたりした。その日は、それなりにじめっとした鬱陶しい雨が降っていたのに、それを差し引いてもなお、最高にいい気分だった。

このあたりから、柔らかく生温いあたたかい今の仕事の良い側面をふんわりと認識できるようになった気がする。気がする。

仕事を楽しくするということ

私は、いつだって、褒められたい。

褒められたいという欲求が人一倍強いことを自覚している。

数日前、仕事で、すごいエクセルをつくった。

安易な前例踏襲はしません、という目標を掲げたからには、前年度資料の時点更新だけで済ますようなマネはしたくない。

エクセルは楽しい。(ちなみにパワーポイントも大好き)

やりたかったことをそのまま表現できたとき、大きな声を出したくなる。

そして私は、実際に大きな声を出す。笑

「あの!すごいものつくっちゃいました!」とか、普通に声に出してしまう。

そしたら周りの人たちはびっくりして、笑い出す。仕事中そんなことを言っちゃう人はあんまりいないらしい。でも私は実際にすごいものをつくったし、それを褒めてほしいから、褒めてくださいって言う。披露して、意見をもらって、ブラッシュアップしていく。これが本当に楽しくて楽しくて、私の人生に仕事があってよかった、って大袈裟じゃなく、思ってしまう。

ここ最近は、大きなイベントの準備で、それなりに忙しかった。

何日か残業してみて気づいたこと。

前は、自分だけが早く帰っていると思っていたけど、実際は、普通にみんな早く帰っていた。自分が必要とされていないわけじゃなかったんだ。なんという恥ずかしい勘違いをしていたのか。この気づきによって、心に刺さっていたコンプレックスの針がまた一本、すっと抜かれたように思う。

それと、うれしかったこと。
私はえらい人と話すのが苦手だ。そして口での説明がかなり下手。上司はそれを知ってか知らずか、やたらえらい人に説明する機会を創り出してくる。そしたら最近なんとなく耐性がついてきているような気がしてびっくり。いつのまにか、仕事で緊張することがほとんどなくなっている!

そんな上司はとてもあっけらかんとした人で、私にもそれが移っていて、いや確実に移っている。「まあなんとかなるでしょイヒヒ」っていたずらに笑う上司の顔が、ふとしたときに蘇ってきては私までイヒヒ顔になっている。

「それさ~あれだよね?」とか、指示語ばっかり使う上司の癖も、私に移っている。「あれは〜それですね」指示語ばっかり使うようになった私を見て上司はとても嬉しそうだ。

今はまだ、異動してきたばかりだし、26歳だから許されていることがたくさんたくさんあると思う。甘やかされすぎていることも分かっている。

このままでいられなくなったとき、自分はどう変わればよいのか、それはそうなったとき考えることにする。今はやっぱり、この柔らかくあたたかい環境で、ふわふわと浮かぶように仕事をしていたい。

仕事を平和に、楽しくすることだけ、考えていたい。

仕事を人生の軸にしたらいけないよって教えてくれた人

ものすごく変な出会い方をした友人がいる。

その友人自身もやはり変で、私はその人から聞いた2つの話が深く深く印象に残っていて、ふとした瞬間に思い出しては、逸れかけた道をそっと正されているような気がしている。

その友人は結婚している。奥さんがどんな人か聞くと、「自由奔放で、何もしない人」だと言う。家事は何一つやらないらしい。掃除も洗濯も料理も、やらないというか、やりたいときにやる、基本的にはやらないらしい。かといってバリキャリウーマンな訳でもないと言う。

めちゃくちゃ美人とか?

何もしなくても許されるくらいの美貌を持っていれば、存在するだけで許されてしまうのではないかと思ったが、

いや、普通の顔。

と言う。じゃあ、一体何に惚れたのよ、奥さんの魅力は何なのよ。と聞くと、

「とにかく明るい」と返ってきた。

思わず、安村?とつっこんでしまう。

奥さんは、いつでもどんなときでもとにかく明るくて、笑ってて、ご機嫌で、楽しく生きているらしい。そして奥さんが楽しく生きることこそが、友人のハッピーにつながるらしい。
それを聞いて私も、奥さんにはこのままずっと何もしないで、とにかく明るくい続けてほしいと思った。

思うように生きれなかった日、何もできなかった日、その奥さんのことを思い出して、ちょっとだけ明るくなってみるか。とか思ったりする。

もうひとつ、その友人の仕事に対する向き合い方に関する話。

友人は「自分にとって仕事は、限りなくどうでもいいもの」だと言う。仕事はお金を稼ぐための手段であり、仕事の充実を生きる目的にはしない。そうすることで、仕事がうまくいかないときも、上手く気持ちを切り替えられる(というか、そもそもプライベートにその影響が全く出ない)とも言っていた。

仕事を人生の軸にしてはいけないというのが、私にとっては新鮮だった。これまで、「最近いい感じ!」と思う源は、大抵仕事で得られた充実感だったし、仕事が楽しくなればなるほど、自分が輝いている気がしていた。

仕事はどうでもいいものという前提のもとであれば、それを楽しんでやること、楽しみを見出すことを否定はしない、と友人は言う。ただ、結果として楽しくなくてもいい。だって、どうでもいいんだもの。という揺らがないメンタルが大事なんだって。

仕事との向き合い方は人それぞれ。

自分は、この友人のやり方を、試しに取り入れてみようと思っていて、最近実際に取り入れてみている。試しにね。

それが結構、良い感じ。

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