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好きであること

好きであること、五月病が出やすい時期にメッセージ

 今回は、ある記事にあった好きなことに関する内容から降りてきたことをお話しします。

 皇の時代は、好きなことを極める時代で、好きこそテーマです。この好きなこととは、ずっとしていても疲れないし、楽しいし、次々アイデアも湧いてくるような何かです。また人であれば、気が合い、気づけば安心してそばにいられる相手です。これだけ見ると良い環境だなと感じませんか?しかし、現実は、こんな生活中々出来ませんという方が多いです。

 そこで、皇の時代の「好き」とはなんだろうと考え続けてきました。この考えを変えたのが先ほどの記事で、好きには理由がないと書いてありました。

 本当に好きな何かには、理由がわからないと。好きな人、好きな物、好きな場所、好きという全部に理由がわからないのかもしれないことが今回の着地点です。

 というのも、祖の時代は、難しく考えることが大切でした。結論の出ないことをグルグル考えたり、理由がはっきりしていることが重要でした。ですから、ともすると皇の時代に、理由を求めて大切なものを手放してしまわないか?という疑問が出たのです。理由なき好きは曖昧で気持ち悪いと考えるからです。

 例えば、理由はわからないけど、この人が好きかもしれないという気持ちがあったら、実は勘違いかなと諦めてしまうかもしれないです。また、ある時は、心が落ち着く場所があっても忙しいからと行くのを止めていたら、この場所がなくなっているかもしれなかったり。お金が少しきついからと、友人に会うのを控えていたら引っ越してしまったり。パートナーが自分にサービスしてくれないならと慾を出したらうまくいかなくなったり。

 自然体で楽なものが好きであり、相性が良く、自分を支えてくれることに気付かなかったり。

 時に余裕がなくなると、環境に不快感を持ち、何もかにも否定して壊してしまう人がいるので、ちょうど五月病が発症する時期にもう一度理由なき好きを認識して、安心して楽になれるものや相手は大事にしてほしいことをメッセージにしました。

まとめ
 好きな人の好きな理由はわからなくていい。心が反応すれば十分なのだ。好きなことも、周りには理解されないことも増える。自分だけの好きを認識して大切に育てよう。

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