コッヘンシュトックの天気管
ドワーフのコッヘンシュトックさんは街で一番の魔法道具職人です。
いつも夜遅くまで仕事をしている上に、もともとドワーフの目は光に強くないものですから、昼間に会ったほとんどの人が「ああ、これは早くお暇しなければ」と思うような目つきをしています。
コッヘンシュトックさんの魔法道具は精度が特に高く、風水板や悪霊探査機も人気でしたが、いちばんの人気は天気管です。
竜の息吹が風に乗る日とセイレーンが大泣きする日をきちんと判別できる天気管はなかなかありませんからね。
ある時街に旅の魔女がやってきました。
「修行中の魔女がマルシェに店を出してるらしいね」
「尻尾の付け根のコリに効く薬草があるといいんだけど」
「あたしは天気管がおすすめだね。ありゃなかなかいいよ」
「うちもあそこで天気管を買ったよ。娘がたいそう気に入ってね」
こんな噂が耳に入ってもコッヘンシュトックさんは眉ひとつ動かしませんでした。
けれどその日は早々と工房を閉めて、いらいらソワソワと広場のマルシェに向かいました。まったく何もかも面白くないというような顔でした。
つまり街ゆく人たちから見て「いつも通りのコッヘンシュトックさん」そのものだったわけです。
「いらっしゃい!」
薬草の乾燥ブーケや軟膏壺に混じってそのボトルは並んでいました。
色とりどりの液体を入れたそのボトルの中には、透き通った白い結晶が浮かんでいました。
コッヘンシュトックさんはやはり眉ひとつ動かさず、しかし丁寧にそのボトルを取りました。
気圧の変化に応じて生じる結晶。アストラル濃度を反映する文様。季節の精霊や神様の波動。
なるほど最低限の質は保たれている、とコッヘンシュトックさんはあごひげを擦りました。
もちろん自分の作品ならばより細かい情報が読み解けるが、家庭で使う分にはちょうど良いのかもしれない。
商売仇の存在などはじめから気にもしていない、というふうを装って、コッヘンシュトックさんは言いました。
「ひとつもらおう」
魔女の娘はぱっと空色の瞳を開きました。
「はい! ありがとうございます。お色は何色にしますか? 春の空色が人気ですが、秋の草木色もおすすめですよ。お好きな色をどうぞ! 」
「無論、透明だ」
実はここに来てからのコッヘンシュトックさんは、天気管に色がついていることがどうにも納得できずにいました。
結晶の変化を見るなら、液が透明な方が絶対に見やすいのです。
この魔女の仕事を“まぁまぁ悪くはない”と思っただけに色がついていることがだんだんと許せなくなってきたのです。
「このー、アー、うん、カラフルなアレは、アー……君のアイデアかね」
「はい! そうです」
「なぜ色をつける? せっかく質がいい……悪くは無いのに。視認性が落ちるだけだろう」
次の言葉は言うべきではないかもしれない。そうコッヘンシュトックさんは思いましたが、そう思った時にはもうお腹のなかにある何かがその言葉を押し出していました。
「無駄なものだ」
魔女の娘はじっとこちらを見つめました。瞳が黄昏の光を反射していました。
「天気管ってね、いろんなことがわかるんです。待機中の魔力濃度、渡り妖精の飛来、嵐、寒暖差……」
「ああ、私も“多少は”知っているよ」
「毎日だって見てしまうわ」
「ふむ」
「でもね。悔しいことに多くの人は毎日は見ないのよ。毎日の変化に目を向けたらきっと役に立つし、楽しいし、日々の何気ない変化が愛しくなるのに……目まぐるしい事が多過ぎて、小さな変化にだんだん目を向けなくなってしまうの。私の天気管なんてそれは大きな目盛りの物差しなのよ」
娘の瞳から茜色の光が消えて、コッヘンシュトックさんはもうじき日没なのだと思いました。
「それでも天気管を通して見るとキラキラした小さな変化が少しだけ見やすくなるわ。だから私もっとみんなに見てもらいたくて……それで色をつけたんです」
コッヘンシュトックさんは意味がわからず、片眉をぴくりと動かしました。
「色がつくと……人々が天気管を見るのか?」
「だってお気に入りの色なら毎日だって見たくなるでしょう? ……ならないかしら。ううん、きっとなるわ 」
天気管を見る理由がお気に入りかどうかなんて、コッヘンシュトックさんは考えたこともありませんでした。そもそも「お気に入り」とはどういった感覚なのか、言葉の意味以上に思い出すことができませんでした。
「お気に入り……どうかね。毎日見たらいずれうんざりする日も来るだろう」
「そんな事ないわよ。いつもそこにあるからって空の色に飽きたりはしないもの」
魔女の娘の瞳には、天気管の結晶が映っています。小さな、きらきらとしたそれはまるで星空のようでした。その輝いた瞳がふいにコッヘンシュトックさんの方を向きました。
「それにおじさまは毎日天気管を見る人でしょう?」
「アー……なぜそう言う?」
「だってお好きな色をどうぞ、と言って迷わず透明なボトルを選んだもの。それは天気管の色、だわ」
「なるほど」
娘に料金を支払って、コッヘンシュトックさんはそのボトルを受け取りました。
あたりはすっかり日が落ちて、マルシェの人々も店じまいをしているようでした。
「そろそろあたしも閉店しなきゃ。この街にはまだ暫く滞在するつもりなんです。もしよかったらまたいらして下さいね。……といっても、あんまり品揃えに変化は無いかもしれないけれど」
娘は眼を伏せて微笑みました。コッヘンシュトックさんはふいに空っぽの胃袋に風が吹き込んだように感じました。コッヘンシュトックさんは思わず言いました。
「また来るよ。……小さな変化が、あるかもしれない」
ドワーフのコッヘンシュトックさんはもうずいぶん昔から、街で一番の魔法道具職人でした。
それでも、長年連れ添った彼の奥様のアドバイスで、彼の天気管がほんのわずかに色付いたのはごく最近の小さな変化です。