ミス・マルガの天気管
魔女のマルガは広場のマルシェに店を構えています。森で採った素材で作った薬や魔法の道具を売っているのです。
修行の旅の途中でこの街に立ち寄ったのが5年前。今ではすっかりこの街に馴染んだものです。馴染みの果物屋、馴染みの食堂、そして馴染みのお客さん。
フロランタン通りに魔法道具工房を営んでいるドワーフの男は、マルガがここに店を出してからの常連客です。それがここひと月ほど顔を見せないのでマルガは最近ご機嫌ななめなのでした。
もしかして体調を崩しているのかしら。それとも旅にでも出た? うちは近ごろ変化レンゲの花を使った口紅が売れ筋だから、お客さんに若い娘が多くて来づらいのかも。それともひょっとして……。
……ひょっとして、私に幻滅したのかしら。
マルガの目から見ても、そのドワーフの作る魔法道具は一級品ばかりでした。特に天気管は素晴らしく、精密で、正確で、見やすいという一品でした。特に竜の息吹が風に乗る日とセイレーンが大泣きする日を見分けられる天気管なんてまずお目にかかったことはありません。
自分でも天気管作りに自信のあったマルガは、初めてそれを見た時ショックを顔に出さないためにワッフルサンド3つ分はカロリーを消費したといいます。
マルガの天気管は、花や草木や夕焼け空や、自然のいろいろな者たちから分けてもらった美しい色を添えています。精霊の魔力を帯びているので直感的に読み取りやすいのが魅力ですが、やはりドワーフの職人が作るような正確な結晶情報は作れません。
あれだけの天気管を作れる人だもの、私の店にわざわざ来る必要は無いのかも……。
事実マルガはこの街に来てからそのドワーフの天気管を買い、宿のナイトテーブルに置いて毎日見ているのです。(余談ですがそれより先にそのドワーフもマルガの天気管をひとつ買っています。マルガはそのことを思うとまた感情を抑えるためのカロリーを消費するといいます)
マルガが宿に戻ると、ナイトテーブルの天気管は相変わらず美しくかつ正確に結晶を結んで、今夜の天気の変化を示していました。
わずかな気圧上昇、大地のエネルギー安定、月の魔力が弱まる時期、大気中にバンシーの鳴動あり、そして肌寒くなる季節の訪れ。
マルガが店を出している広場のマルシェは、日没でほとんどの店が閉店します。マルガも先ほど店を閉めてきたところですが、まだそれほど遅い時間ではありませんでした。
……あの人はまだ工房にいるかしら。
マルガは箒を手に取ると窓から夜空へ飛び上がりました。寒い季節も悪くないわね、なんて思いながら。
「やあ。君か」
「こんばんは。お邪魔だったかしら」
「いいや」
そっけない態度も、しかめっつらもいつもの事です。実際マルガは友人たちに彼の性格上の欠点とも言える部分をぼやいた事が何度かあります。(もっとも彼の作品について悪く言ったことは一度もありませんけどね)
それでも歓迎するでも邪魔にするでもないその態度は、マルガをたいそう安心させました。それは久しぶりで、嬉しいものでした。
「なにを変な顔をしている?」
「変な顔なんてしていないわ」
「笑っていた。何を見るわけでもなく」
マルガは急に恥ずかしくなりました。
「別に。ちょっと嬉しい事があったの」
「ふむ」
「あなたは? 何か楽しいことはあった?」
「工房にいた」
「ずっと1人で?」
「さっき君が来た」
「それだけ?」
「それだけだ」
ドワーフは僅かに口許を緩めました。
マルガは「私はずいぶん寂しかったわ」と言ってやろうかと思いましたが、かわりに少しだけ唇を尖らせるだけにしました。
「その口紅は君の新作か」
こちらの顔なんて見ていないと思っていたマルガは面くらって瞬きをしました。
「この前来た客がな。たぶん同じものをつけていた」
「それだけで同じものだってわかるの? だってこの口紅は……」
「感情で色が変わるんだろう? 船舶用の魔導羅針盤を欲しいと言っていたので見積もりを出してやったらみるみる青ざめていったよ」
表情を変えずにぐっぐっ、と喉をならすのが笑っているのだとわかるようになったのはこの2年ほどのこと。彼が意外と冗談好きであることを知ったのも。
色が変わると言ってもわずかな変化だ。そんな色の変化に気づけるなら、こちらの心の機微にももう少し気を配っても良さそうなものだわ。マルガがそんなことを考えて黙っている間にも、ドワーフは言葉を続けました。
「君のつくる品は面白いな。私には生み出せん。真似をしようとは思わんがね。」
一言が多い。でも、2人の時はいつもより饒舌になる。そうなったのはこの1年ほどのこと。
「私は……1人が苦にならない性質だ。物を作っていれば満たされる。だが……私に無い発想というものを見るとやはり……刺激的だ。第三者というものはやはり必要なんだなと感じる。それを思い出したいときは、よく……君の天気管を見る」
「私の天気管を? これほどの天気管を作れるあなたが?」
「ああ。いつも見ている。だから……」
「…………?」
あまりに長い沈黙にマルガが、もしかしてさっきの「だから」は聞き間違いか何かだったのかしら、と思いかけた時、
「……会えて、嬉しい。」
マルガは瞳をまんまるくしました。ひょっとしてさっきまでの長いお喋りは、ただこの言葉が言いたかっただけなのかしら。そんな気がしたのです。
「ところで……自信作なのかもしれんが、その頬紅はつけすぎじゃないか? 突然赤く変化しすぎだ」
マルガの店の商品に頬紅が無いのは、常連客の皆さんなら当然ご存知ですね。
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