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敗金主義者と対地球戦争

 ウクライナでの戦争は終わらない。きっと夏までは終わらないし、たとえロシアが終わったと言っても今度はウクライナが攻めに転じることで新たなフェーズの戦争が始まる可能性だってある。負の連鎖を断ち切るには時間が必要なのだが、今を生きる人間にはその余裕はないのである。

 今は日本もそうだ。戦争状態ではないけど、特定の物価の上昇やコロナ禍で先が見えない不安、しかし、良くならない景気と上がらない給料に愕然とするしかないし、芸能人の自殺も続いてますますもやもやとした漠然とした焦燥感と不安感でいっぱいで余裕などありもしない。

 こんな時は明るい未来を見出してくれる何かを人は求めるものだが、それすら表れていないと思う。誰も未来へ目を向ける余裕はないのだ。

 一方、ショックドクトリンではないが、こんな時ほどエセ明るい未来が出てきやすくもある。不安が高まれば心の隙は出来やすくなるから、そこに漬け込む輩は多い。全良そうな顔して悪魔は忍び寄るのだ。歴史的にもその例は多い。地獄への道は善意に舗装されている、これは真実である。フランス革命では理想を掲げて王政を倒したが、その後は壮絶な内ゲバで理想を赤で上塗りされたし、ナチスドイツは当初ドイツ国民が希望を見出し選んだわけでドイツを立て直したのは事実ではあるのだ。良いと思った理想が実はその理想を破壊するような結果をもたらす、なんとも言い難い不幸ではある。

 では、そうならないためにはどうすればいいのか?

 それは、まず己を知る。具体的には人類の歴史を知る。

 そして、「理 ことわり」を知る。

 この2点ではないだろうか。

 この歴史を知る、という観点はよくいわれると思う。人の行動原理を知る試みであり、シミュレーションすることである。でも、もう一つの理を知る、ということはあまり強調されていない。私は実はこれこそもっと強調されるべきだと考えている。いわゆる理性とはこのことだと思うんだが、日本では「合理性」といわれることの中に「合利」だったり「功利」だったり「効率」が含まれているし、外国では理性に「宗教」が含まれている。これでは理性が歪むのは無理はないのだ。
 理とは人のどうすることもできな自然法則なのであるから「利」はないし、「信」もないのである。これをしっかり理解している人がどれほどいるのであろうか?いがいにいるのか。私はそう感じられないのだがどうだろう?

 さて、この理を考えて戦争と向き合うと、戦争の先の戦争、そう対地球戦争に行き着くというのが私の結論である。まだ人類には早いのかもしれないし、理想かもしれないし、多くの人が宇宙空間から地球を星として直接見ることを体験しなければ直感として理解されないかもしれないが、想像力はそれを補うし、理もそれを導いてくれる。

 ウクライナの戦争も、日本の不況も、もしかしたらコロナ禍も「人災」であって「理」ではないのだ。要するに人が変えられることなのである。誰かの金儲けのために起きているこれらのことに付き合う必要は本来ないのだ。人と人が争う先にあるものを我々人類は早く見つけなくてはいけない。
 人類は「意識的」に「理」その者と「戦争」しなくてはいけないということであり、その象徴が「地球」ということである(まあ、象徴でありつつ、存在でもあるのが地球という我々の命をこの世界に繋いでいる場なのではあるが)。

 そう、対地球戦争とはそういう意味であるのだ。そして、それは始まりに過ぎないということでもある。その説明はまた今度にしたい。

 今回はここまで!



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