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敗金主義者の戯言〜戦争の先にある戦争〜

 前の投稿から随分間があいてしまった。これはもちろんサボっていたり、投稿に飽きていたり、手応え反応の薄さにへこたれていたわけではない。なるほど、その全てが当てはまっているとは言え、仕事が忙しくて手が回らなかったせいである。これからも何気なく続けていこうとは思っているのです。

 さて、戦争が起こっている。悲惨であるし、早く終わって欲しい。戦うウクライナの人々も、戦わされるロシア兵もきっとそう思っているはずだ。しかし、死んだ人間は戻らないし、壊れた街も元には戻らない。敵外心と憎しみの記憶が残り、終わらない負の連鎖が始まってしまう。銃口から出た弾は元には戻らない。引き金は引いたら最後なのだ。この戦争は長くなると思う。何しろ、長引かせたいと考えている輩がいるからだ。そう、軍需産業である。

 みんな不思議に思わないだろうか?大国ロシアがウクライナに苦戦している現状を。いまだに決着がつかないのはなぜか?それは、皆さん知っていることだろうと思うし、何故か不思議にも思わないのだけど、西側、特にアメリカが武器を供与しているからである。顧問団も戦争前から派遣されていて訓練していたのだし、情報提供もしているから、少ない人員でも最新兵器と精密な情報で効果的な戦果を挙げられているのである。純粋にウクライナだけの力ではこうはならないのだ。そう考えると、これはもはや代理戦争の一種と言えるだろう。ロシアと西側諸国がウクライナと言う土地でドンパチしているわけだが、シリアからも傭兵を集めるし、義勇兵として各国から人が流入しているようなので、これは「現代の世界大戦」とも言えるだろう。

 アメリカはこの手の活動が得意である。戦前のフライングタイガース然り、アフガンのアルカイダ、ビンラディン然り、紛争を起こすのがお得意で、マッチポンプにすら感じられるほど戦争と縁がある。武器提供しているならばそれはもはや当事国ではないのか?しかし、世間ではそのような風潮は見られない。大統領もそのような態度だし、NATOも関わりません、と言いつつ、何もしないふりして武器と情報という要はしっかり与えているのだ。この点において日本を「当事国」と主張する人はいないだろうが、武器を提供している国はそう言われても仕方ないと思うがどうだろうか?

また、世間ではロシアが悪い、と世論が固まっていうように見るけられる。理由は先に手を出したから。さて、ウィルスミス問題とも絡んでくるが、暴力した方が絶対悪である、という価値観が下支えしているのだが、やはりこれはよく考える必要があると思う。確かに理由のない暴力は遠慮したいし、肯定されるべきではないだろう。どうしてそうなったのか?理由は大事ではないだろうか?   ウィルスミスは妻を侮辱された。言葉の暴力で。どうして言葉の暴力は許されるのか?アメリカでは芸能人には何を言ってもいいという風潮があるようだし、ジョークならば許される土壌なのかもしれない。しかし、言葉で傷つけるのが許されるならば、そもそも争いは生まれないのだ。いきなり殴るよりも、言葉が先にあってヒートアップするのが争いというものではないか?

 言葉を発する責任は誰にでもあると思うがいかがだろうか?妻を侮辱して憤慨んしない夫は人としてどうだろう?しかも、病気が理由という自分達ではどうしようもないことをジョークにされて怒らないでいられるだろうか?

 人ではどうしようもできないことを理由に笑いをとることは「差別」と言われないのだろうか?あれだけ差別にうるさい国の人たちが、どうしてこれは許すのだろうか?日本でウィルスミスが肯定されがちなのは、先に「差別発言」を発した方にはもはや「人権」がないから、何されても文句は言えない、という無意識があるからだと私は分析している。ここにおいて、暴力は肯定される、と無意識に思っているのではないだろうか?

 さて、ロシアであるが、これは歴史を遡る必要があるので大変だが、簡単に言えばアメリカがウクライナを使ってロシアを圧迫したのが引き金であるのを皆忘れがちだ。ウクライナの事情があるのはそうだとしても、戦争になるよりマシとは思えない。どうしてウクライナはNATOに入るようなそぶりを見せたのか?もちろん、クリミア併合などされれば警戒するのは当然であるし、ずっと内戦が続いているのだから理屈は通っている。ロシアはロシアでそれとは別にウクライナのロシア系住民が迫害されて、虐殺までされていると感じていたならば助けるという動機もわかる。もちろん、これは建前でもある。ロシアはクリミアまでの地続きの土地を確保したいがために戦争を起こしたというのも理解できる。ウクライナがNATOに入ればロシアが喉元にナイフを突きつけられたように感じるのも理解出来る。要するに、両方に言い分はあるのだ。だからこそ、第三者は関わらないほうがいいこともあるのだ。

しかし、アメリカはそれをしたわけである。 NATOを拡大し、ウクライナを軍事援助して、ロシアを圧迫したのだ。戦争が起こるように。

なぜ?

 確実なのは、戦争屋は儲かるということだ。武器は使わなければ在庫であるが、使えば次から次に使われる。ジャベリン1発いくらでとかニュースで取り上げらるくらいだが2000万円くらいするらしい。戦車は1台何億だからコスパがいい、とかそんな議論は本質ではないのだ。高いミサイルも使わなければ次はないのだ。使うから次があるわけで、使うから作って売れるわけだ。戦争は最大規模の消費行動なので、常にインフレである。これは武器が消費のみであるばかりでなく、大規模で人が関わる活動だから、行為そのものがインフレ要因なのだ。物が作っても作っても無くなっていく、すなわち経済の歯車が回る状態なのは間違いない。作れば売れる時代、そう高度経済成長期のあれである。だから戦争特需と言われるのだが、これには条件があって「戦場」ではないことが絶対なのだ。今回もウクライナは全く儲かっていないはずだ。インフラは壊滅的になり、国民もいなくなり、戦費はかかるばかりなのだから。国内の軍需産業も実は武器が外国製が主になれば潤うはずもない。そう、潤うのは外国の軍需産業、すなわちアメリカの軍需産業ということになる。

儲かるのはアメリカで、しかも、リスクを負わないのだ。これはやめられない。まるで株主ではないか。株は持っていて利益を吸い上げるが、その会社の責任は負わずにいられるのだ。何かあれば株式は失うかもしれないけど、それ以上の責任はないのだが、この戦争の仕方で儲ける仕組みもそれに似ていると思うがいかがだろうか?

 さて、ここまで問題提起してその結論が、前回の問題提起(見ている人は皆無だろうが)と実は一緒なのだから不思議なものである。簡単に言えば「戦争の先にある戦争」こそがこの二つも問題を同時に解決できることなのだ。

 次回は「戦争の先にある戦争」とはなんなのか説明したいと思う。

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