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敗金主義者の憤怒 デフレの結果の結果

久しぶりの更新である。まだ、戦争の先の戦争の説明もおぼつかないのに、今回は違う内容を書いてしまうのは敗金主義者の怠慢なのである。しかし、怒りと悲しみが筆を取らせるので、こうして何やら書かずにはいられないのである。

 北海道知床で痛ましい事故が起きた。多くの人生が北の海に散ってしまった。心よりご冥福をお祈り致します。

 多くの希望ある人がなくなったが、その原因を作ったのは誰だろう?経験不足の船長だろうか?コントロールできない天候だろうか?不整備を許した国や自治体だろうか?拝金主義者の社長だろうか?あるいは、そのすべてだろうか?
 今回の事故は起こるべくして起こっているので、人災なのは間違いない。海が荒れるのは海の人間なら承知のことだ。それを判断するのは人間である。ましてや観光船なのだから、行く行かないは人の判断でしかない。
 他の観光船はその日行かなかった。しかし、あの会社は行った。それは人の判断である。船長と社長とが判断したのだ。その判断が間違っていたのはいうまでもないが、その判断を下せる根拠が著しく乏しいのが今回の最も怒りが込み上がるところだ。船長の経験不足、船の不整備、連絡手段の不整備、船自体の選択ミス(外海には向かない船体で改修すらしていなかったようだ)、儲けしか考えない素人社長が安全を蔑ろにして、十分な設備すら整えずに、ベテランを解雇して残した経験不足の船長とどうして出港の判断を下せたのか?

 いや、彼は判断は下した。そう、この社長は人の命よりも自身の利益を取るという判断を下したのだ。

 船長も一義的な責任はある。絶対に行かない、と決断すればこのような事故は起きなかったはずだ。船長がいなければ船は出ることはできない。
 客は困って残念がるだろうし、社長からはどやされてクビになるかもしれない、家族がいれば家族から責められるかもしれない。仕事を失い、露頭に迷うのは目に見えていただろう。出港して事故に遭うという確証など出港前にはないだろうし、あくまで可能性(かなり高い可能性であるとしても)なのだから。あの船長だって万全の状態で、安全性の高い船で仕事が出来ればそれに越したことはないと思っていたはずだ。しかし、現実は運任せの仕事をせざるを得なかったのだろう。だめかもしれないけど、行くしかない、そう考えていたのかもしれない。きっと多くの日本で働く人はそんな場面があるのではないだろうか?あのバス事故でもきっとそうだったに違いない。先進国とは思えない危険と隣合わせで働いているのだ。

 そして、この社長のような価値観の経営者は多いだろう。拝金主義の成せる技、自分の利益が全てで他はどうでもいいとい考えが蔓延っている。他人の命よりも大事なのが金なのだ。結果として多くの損を被ったとしても、きっと反省などしないで人のせいや運のせいにするに違いない。そうして生きて行きたから今に至るのだから。

さて、ここまではミクロの視点である。個々の人々のことである。しかし、マクロで考えたらどうなるかといえば、やはり経済的な観点から今回の事故が起きるのは必然であったと言えるのだ。要するにデフレギャップである。マネーの流通量にギャップが起きると、需要と供給のバランスが崩れて供給が滞ると、マネーの力が大きくなる。そうなれば拝金主義が蔓延るのも無理はないのだ。富の奪い合い、砂糖の島で砂糖が奪われるのだ。

マネーの価値が上がれば互換性のある物や人の価値は当然さがる。拝マネー主義者が人の命の価値よりも自分の利益を求めるのは、デフレの世界では当然の帰結とも言える。いわゆる「合理的」ということだろう。
 そして、何度も行っているがデフレは「人災」である。そう、ここでも人の判断があるのだ。
判断を下せるものには責任が伴う。江戸時代の政治家、官僚は責任を取って腹を切った。今はどうだろうか?今こそその倫理観が必要なのではないか?
 我々の国の政治家や官僚は江戸時代に比べて倫理観において劣化しているのだ。
 経営者の倫理観も地に落ちている。デフレ下では倫理観など維持できないのだ。「衣食足りて礼節を知る」とはこの状態を表しているのである。
 いち早くデフレギャップを埋めなくては、バス事故、今回の海難事故に続き、痛ましい事故は続くと考えられる。
 もう引き返せないところまで来ているかもしれないが、引き返すには早いに越したことはない。日本にはまだ子供達がいるのだ。その未来くらいは残してあげたいと思いはしないだろうか?

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