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魔法画家の鎮魂歌(レクイエム)第3話

 パリの街中にそびえ立つ大劇場ガルニエ宮。

 またの名をオペラ座。

 かつては様々な芸術活動が、この地で行われていたが、いまや吸血鬼達を礼賛するための演劇を奉じるだけの、極めて限定的な用途で使われている。

 この日の劇「ラグナロク」もまた、吸血鬼達のための舞台である。

 しかし、あらゆる芸術活動が統制された、この世界において、堂々と観賞できる唯一の演劇だということで、多くの人々がガルニエ宮に集まっている。事前チケットだけでなく、当日券も販売されているので、大勢が押し寄せた。

 人でごった返すガルニエ宮前の広場を、エミール達は掻き分け、なんとか入り口まで辿り着いた。

 チケットを切ってもらい、中に入ったところで、あらためてエミール達は挨拶をし合った。

「お会いできて光栄です」

 エミールが手を差し出すと、夜会ドレスに身を包んだベルト・モリゾが、キリッとした硬い表情で、腕を組んだ。その両手には手袋を付けているにもかかわらず、エミールの手を触ろうとしない。

「すまない、人の手は触らない主義なんだ。とにかく、よろしく」

 その気の強そうな見た目通りに、男勝りな口調でベルトは挨拶してきた。

 だが、もっと男勝りなのは、エヴァ・ゴンザレスだ。

「この間はマリーを助けてくれてありがとうな!」

 浅黒く焼けた肌に、短く刈り揃えた髪の毛が、実に男っぽい。ベルトに握手を拒まれたエミールの手を、代わりに、エヴァはガシッと掴むようにして握手した。すさまじく強い握力だ。エミールは思わず、痛みで顔をしかめた。

「ここから先は、固有名詞を出すな。発言に気を付けろ」

 迂闊にマリーの名を出したエヴァのことを、ヴィンセントはたしなめた。エヴァは気にしていない様子で、へいへい、と返答する。

 この中では、ヴィンセントだけが二十代。他は皆、十代の少年少女だ。

「やれやれ、まさか子守を任されるとは……」

 呆れたようにかぶりを振り、ヴィンセントはため息をついた。

 劇場の中に入り、座席につく。位置としては中央より少し前寄り。舞台だけでなく、左右のボックス席も眺めることの出来る、絶好のポジション。

 劇場内にどんどん客が集まってくる中、ボックス席にも人影が見え隠れし始めた。おそらく、ボックス席は吸血鬼達のために用意された場所であろう。

 やがて、ノスフェラトゥが姿を現した。

 世界政府である「闇の帝国」総統にして、吸血鬼達の始祖。

 ワアア、と歓声が湧き起こった。それは、吸血鬼達だけではなく、この場の大多数を占める人間からも上がってきたものである。支配され、食糧とされながらも、声を上げた彼らは、ノスフェラトゥを崇拝している。

 吸血鬼達は、文化を破壊し、統制し、思うがままに人間達を抑え込んでいるのであるが、それでも、吸血鬼によって統治される前の世界を良しとしなかった人々にとっては、いまのほうが生きやすいと感じるようだ。

 何よりも、貧富の差が無くなった。いや、富の偏りは変わらずに存在しているのだが、富貴な身分の者ほど、吸血鬼の食糧とされやすい傾向にある。富める者の血は美味で、貧しい者の血は不味いそうだ。それゆえに、高い身分の者達は、明日は自分が血を吸われるのではないかと怯え、逆に貧民達はそのような恐れもなく気楽に過ごす、という違いが表れていた。

 吸血鬼による統治が受け入れられているのには、他にも様々な要因はあるが、なんと言っても、総統ノスフェラトゥの魅力に惹きつけられる者が多い、ということも大きな理由だ。

 全てを見透かすかのような知性溢れる眼差し、白蝋の如き肌。長い銀髪は光に当たる度に輝く。その穏やかな笑みを前にした人間は、老若男女問わず心を溶かされ、自ら首を差し出してしまうことだろう。

 若い美男子の姿のノスフェラトゥ。そんな彼が、高所にあるボックス席から、一般の観客席へ向かって手を振ると、また歓声が湧き起こった。

 ノスフェラトゥの左右には、外務大臣のクレメンティーネと、財務大臣のルイーゼが立っている。二人とも女性の吸血鬼だ。妖艶な紫色のドレスに身を包んだクレメンティーネは、色香たっぷりに人間達に投げキスを送っているが、カッチリしたジャケット姿のルイーゼは、冷ややかな目で下方の人間達を見ながら、ずれた眼鏡を指で直す。

「エイダは、俺達に何をさせたいんだ」

 忌々しげに、ヴィンセントは呟いた。

 エミールも同感だった。この位置からでは、ノスフェラトゥの様子を見ることしか出来ず、手出しは難しい。

「本当に舞台を観てもらいたいだけだったりして」

 エヴァのその推測は、もしかしたら当たりかもしれない。

 結局、何かする機会も無く、劇は始まってしまった。

「つまらん劇だ」

 開始五分で、ヴィンセントはそう評した。

 エミールも同感だった。北欧神話をただなぞっただけの、何を表現したいのか、まるでわからない舞台。脚本も、演出も、凡庸の極みだ。

 役者もまた、演技に魂がこもっていない。吸血鬼達に気に入られるように、与えられた役割をただなぞるだけ。

 これは無駄な時間を過ごすことになるか、と思っていたところで、突然、舞台上に活気が生まれた。

 エイダ演じるヴァルキュリアの登場だ。

 戦乙女として、彼女は空間全体を生かして跳び回り、時に感情を剥き出しにした演技を見せ、時に鮮やかな殺陣を繰り広げ、それまで退屈だった舞台に華を添えていく。

 観客は、いつしか、彼女の演技に惹きつけられていた。

 エミールもまた、食い入るように、エイダのことを目で追っている。こんな絶望的な世界で、まだ彼女のように生き生きと芸術活動を行う俳優がいるのかと、感動すら覚える。

 そして、いよいよ前半の幕が下りるかというところで、事件は起きた。

 神々が大集合し、これから世界の終わりが始まる、というシーン、誰もが舞台の上に目が釘付けになっているタイミングで、突如、銃声が鳴り響いた。

 エミールがハッとなり、ボックス席の方を見上げると、ノスフェラトゥが頭から血を噴き出してのけぞっているのが見える。狙撃されたのだ。

 緞帳の上に狙撃手がいる。暗がりのせいで、顔は見えない。彼、あるいは彼女は、武器をグレネードランチャーに持ち替え、ノスフェラトゥがいるボックス席に向かって爆弾を発射した。

 爆発が起き、ボックス席は吹き飛ぶ。

 真下にいる観客達は悲鳴を上げながら逃げ惑う。舞台上の俳優達も、袖へと引っ込んでいく。

「レジスタンスか⁉」

 ヴィンセントが言うのと同時に、劇場内に武装勢力がなだれ込んできた。

 レジスタンスは「抵抗」を意味する言葉であり、フランスにおいて、吸血鬼達の支配に抵抗するために作られた反乱組織である。

 魔法画家率いる秘密結社ソレイユと似たような集団であるが、大きな違いは、彼らレジスタンスは、何ら特殊能力を持たない、というところにある。ごく普通の人民による抵抗組織、それがレジスタンスだ。

「一気に攻めかかれ! 一網打尽にするぞ!」

 指揮官らしき壮年の男が、大声を張り上げて、部隊を率いている。

 レジスタンスの士気は高く、無駄のない動きで突撃しながら、行く手を阻む者は人間であろうと吸血鬼であろうと構わずライフルで撃ち抜いていく。

 だが、彼らは甘い。そんな程度の攻勢では、吸血鬼達を倒すことなど出来ない。

 爆散し、炎上しているボックス席の、炎と煙の奥から、何十羽ものコウモリが飛び出してきた。コウモリの群れは、黒い曲線を描いて、レジスタンスの頭上をぐるりと旋回すると、三つに分かれて一階客席のど真ん中に着地する。そして、コウモリは寄り集まって、ぐにゃりと歪み、ノスフェラトゥ、クレメンティーネ、ルイーゼの三人の吸血鬼の姿へと変身した。

「まだ生きていたか、しぶとい奴め!」

 指揮官の男は怒号を上げ、ライフルの狙いを定めたが、ほんの瞬きするだけの一瞬で、ノスフェラトゥに距離を詰められた。

「う、お⁉」

 眼前に迫ってきたノスフェラトゥに驚きつつも、指揮官の男は咄嗟に腰からナイフを外したが、間に合わない。

 ノスフェラトゥの影が、動いた。ノスフェラトゥ自身は身動き一つ取っていないというのに、影だけが別の生き物のように動き出したのだ。そして、床の上から剥がれるように、黒い影は飛び上がり、鋭い刃状になって、指揮官の男の首を、容赦なく刎ねた。

「わああああ!」

 指揮官をやられて、恐慌状態の若い兵士が、ライフルを乱射する。ノスフェラトゥ達には当たっているが、効いていない。

「残念だけど、そんな普通の武器で、私達を倒せると思わないことね」

 クレメンティーネは怪しく色っぽい笑みを浮かべ、額や心臓に銃弾を食らいながらも、余裕の様子で若い兵士へと近付いていく。

 が、その後頭部に、背後から、新たな銃弾を撃ち込まれた。

「な⁉」

 ジュウウ、と傷口から煙が立ち始める。普通の銃弾ではない。対吸血鬼用の銀の銃弾。

 憤怒の形相で振り返ったクレメンティーネは、リボルバー拳銃を構えているヴィンセントの姿を捉えた。

「お前は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ!」
「久しぶりだな、クレメンティーネ」

 このヴィンセントの行動は、エミール達にとって想定外のことであった。

 相手は、世界最強の吸血鬼ノスフェラトゥと、その幹部であるクレメンティーネにルイーゼなのだ。いきなり準備もなしに戦うのは無謀すぎる。

「ゴッホさん、何か作戦はあるんですか⁉」

 エミールの問いに対し、ヴィンセントは冷ややかな目を向けてきた。

「無い」
「えええ⁉」
「この好機を逃す気か? 全員、死力を尽くせ。差し違えてでも、ノスフェラトゥ達を始末するんだ」

 そんな無茶苦茶な、とエミールは何も言えないまま、口をパクパクさせた。


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