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【追悼記事】小牧近江:反戦・平和運動の文学者【故Kさんを偲んで】

2023年11月10日の今朝、ショックな報せが飛んできた。

私のペンネームの由来ともなっている、秋田を代表する文学者・小牧近江氏(こまき おうみ、1894年5月11日 - 1978年10月29日)の孫娘であるKさんが、お亡くなりになった。

昨年の10月、「種蒔く人」の記念式典においては、元気な姿を見せていた。その頃からご病気であるということは知っていたが、夜の宴で、日本酒を爽やかにあおる姿は、とても大病を患っているようには見えなかった。

小牧近江氏は、私の曾祖母の兄となる。曾祖母は、その縁で泉鏡花先生に会ったこともあると語っていた。『蟹工船』の小林多喜二先生とも幼い頃ピクニックをしたことがある、そうである。これらのエピソード一つとっても、小牧近江氏が確かに、日本の文学界の中にしっかりと存在していたのだということがよくわかる。

昨年10月の秋田での催しにおいて、小牧近江氏の偉大なる功績を学ぶこととなった。それは、国語の教科書にも、歴史の教科書にも記されていない、ある立場の人達から見れば取るに値しない実績なのかもしれないが、私は、かつて日本にこんな思想を持った人がいたのかと感動を覚えるような内容ばかりだった。

その小牧近江氏の功績についてはいつか語るとして、ともかく、そのありし日の姿を知っていた孫娘のKさんが亡くなられたことは、本当に残念で仕方がない。小牧近江氏のことを除いても、いつか家にお嫁様を連れて遊びに来てほしい、と言われていて、しかしなかなかタイミングが合わずにいたところ、ついにはこの訃報である。非常に申し訳ない思いでいっぱいだ。

「次回は鎌倉で。Bon voyage」

と最後に交わしたLINEにはこう書かれていた。きっと、会えるのを楽しみにしていたのだろう。せめてもの救いは、去年の10月に秋田で一緒にお酒を飲むことが出来たのが、多少なりとも思い出になってくれたのではないか、ということ。そして、血は繋がらずとも、「自分の子供達」と呼んでいる方々が最後まで看病していたそうで、寂しくはなかったのではないか、ということ。そう、信じていたい。

最後に、小牧近江氏について触れておきたい。
その「近江」をもじって「逢巳」にしたが、その割には、私は全然ダメもダメなへっぽこ作家である。比べるのもおこがましいし、恥ずかしい。小牧近江氏に申し訳ないし、Kさんにも申し訳ない。

かように、私とは比較にならない偉人であるが、この機会に、どんな人物であるかぜひ知ってもらいたいと思う。

以下は、Wikipediaからの転載となる。

小牧 近江(こまき おうみ、1894年(明治27年)5月11日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、秋田県の土崎港(つちざきみなと、現在の秋田市土崎港)生まれのフランス文学者、翻訳家、社会科学者・社会運動家。法政大学教授。本名、近江谷 駧(おうみや こまき)。

東京の暁星中学中退後、1910年(明治43年)、第1回万国議員会議に出席する父近江谷栄次に連れられてフランスに渡り、パリ大学法学部入学。苦学の末、1918年(大正7年)卒業。この間、ロマン・ロランに傾倒。同地で小説家アンリ・バルビュスの「クラルテ運動」に共鳴し、反戦運動に参加。また、日本大使館に勤務した。帰国は1919年(大正8年)。

帰国後、革命歌「インターナショナル」を日本語に訳詞(岡本けにちによる初訳に次ぐ)。佐々木孝丸訳の先駆けとなった。小学校時代の旧友である金子洋文、今野賢三と『種蒔く人』を創刊。無産階級文化運動に従事したが、戦時中はフランス領インドシナで民族解放運動に関わった。

戦後は文筆を主とし、鎌倉市に居住し、平和運動に参加した。1949年(昭和24年)、中央労働学園大学教授、1951年(昭和26年)、法政大学社会学部教授(労働史、外国書講読[仏語]、演習担当、1965年定年退職)、中央労働学院院長。シャルル・フィリップ全集やバルビュスの翻訳を残し、回想記を執筆した。

(以上転載終わり)


最後に。かつて、Kさんのご自宅で食べさせてもらった、ラタトゥイユの実に美味だったこと。あの味は忘れがたい思い出となっている。もう一度味わいたかったが、それは二度と叶わなくなってしまった。

Kさんが作る、小牧近江氏直伝の「栄養料理」(レシピは先日別記事で掲載)も食べてみたかった。

それもこれも、後から悔やんでも、もう遅い。

せめて、これからは、二度とこのような後悔をしないように、会える人には会えるうちに会っておこう――そう思う。


逢巳


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