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第5回 2008年、怒りと苦しみから生まれた小説『マッドバーナー』全てはそこから始まった

私のこの38年間の人生において、最も苦しかった年をひとつ挙げろと問われたら、迷わず「2008年」と答えるだろう。

人生初の恋人に別れを告げられた年も、祖母が亡くなった年も、愛犬が亡くなった年も、商業作家としての戦力外通告を出された年も、2008年の時の苦しみに比べたら大したことはない。

それだけ、あの年はどん底もどん底、精神だけが墓場の中に眠っているような状態だった。

伊豆文学賞に3年連続で作品を出したものの、箸にも棒にもかからなかった。『室奈屋の娘』の次に『シャボテン』という短編で応募したが、翻訳業をやっている親戚に「ちゃんと賞の趣旨を理解して書いている?」と突っこみを入れられてしまうほどカテゴリー違いの内容だったので、当然結果を出せるはずもなかった。

会社の仕事は、まるでダメだった。もともと営業部として入社した自分は、しかし社内でも社外でも人とのコミュニケーションに失敗し続け、パワハラにも遭い、とうとう汗腺が異常をきたして手の平の皮膚がボロボロに荒れるという状況まで追い込まれてしまい、入社1年もしないで、部署異動を命じられた。同期入社の仲間は営業マンとしてしっかり働いている中、自分は営業部を追い出されて、総務部所属となっていたのだ。

社内における自分の評価は最低ラインまで落ちていた。

大きな会社であれば、総務部に入れるというのは、栄転かもしれない。だけど、営業主体の中小企業においては、総務部とは時に「ダメになった社員を最後に追いやる場所」となり果ててしまう。うちの会社の総務部は、まさにそんな側面も持っていた。

その総務部に移ってからも、数々のミスを私は引き起こし続けた。今から考えれば、自分だけのせいではない事例もけっこうあったと思う。しかし私は、全て自分が悪いのだ、自分に能力が無いからこんなにもミスが多いのだ、と責め続けた。

いつしか、私は自分のことを「ダメな人間だ」と呪うのが当たり前のようになっていった。

☆ ☆ ☆

そして、2008年になり、立て続けに凶事が起きた。

会社の役員が急逝した。同じ総務部にいた部員も急逝した。労災の事案ではなく、本人達の持病が原因であるが、身近にいた他人がある日急にいなくなる、というのは、身内が亡くなることとはまた違うショックがある。

総務部である自分は、社葬やら生命保険やらの対応で、毎日が大変忙しかった。人の死、について否応なしに向き合わされることとなり、やがて、自分はこのまま人生最後まで虚しい日々を過ごすのでいいのだろうか、と考えるようになっていった。

人生に同じ時間をかけるのであれば、楽しいと思えるような日々を過ごすほうがいい。自分を呪うより、自分に誇りをもって生きられるほうがいい。自分が嫌いでいるより、好きでいるほうがいい。

(この状況から脱出したい!)

ならば、どうする?

小説を書くことは大好きだ。その瞬間だけ、生き生きとしていられる。だったら、本気で小説家デビューを目指すしかない。

そう考え、これまで伊豆文学賞に漫然と応募していたスタイルを、大幅に変更することに決めた。

まずは冷静に自分を分析した。何が足りないのか。どうすべきなのか。小説家になるのだったら、一番最初に何をすべきか。

そこから至った結論は、「圧倒的に、文章を書くという経験が足りていない」というものだった。

大学は文学部に所属していたが、書くことよりも、研究することがメインだった。小説の執筆経験はごくわずかで、しかも完成には至っていない。社会人になってから書いたのはたった3つの短編。

「長編だ。長編を書こう。それも、毎日必ず書き続けるんだ」

毎日書く、というのは大変だ。精神的に孤独な環境では、続けるのは難しい。なので、誰かにいつも読まれている、という感覚も必要だと考えた。

こうして、ブログを利用しての連載長編小説をスタートさせた。

タイトルは『マッドバーナー』。

「悪魔」が誕生した瞬間だった。

ーーーーー(以下『マッドバーナー』より引用)ーーーーー

電車が春日井駅に到着した。ドアが開き、外の冷たい空気が流れ込んでくる。

(逃げるならいま――!)

ユキはこの機を逃すまいと、貢一に注意を払いつつ、一気に外へ逃げ出すため足に力を入れた。

車内にアナウンスが流れる。すぐに車掌の声は途切れた。

(早く! 早く逃げないと!)

足がすくんで動けない。いつ貢一が包丁を構えて、突進してくるかわからない。

「――!」

歯を食いしばり、恐怖に耐え、外へと逃げようとする。

が、遅かった。

貢一がドアの前に立ちふさがった。

「逃がすものかぁ!!」

「きゃあ!?」

包丁の切っ先が鼻の前を通過する。皮一枚切れた。その間に電車のドアは閉まってしまった。

「あ……あ……」

怖気づいたユキは、腰を抜かしてしまい、その場にへたり込んだ。生き延びようという気力が萎えてしまった。

(殺される……殺されちゃう……)

歩み寄ってきた貢一は、ユキの首に手をかけ、包丁の刃を押し当てた。

一度も研ぎ石を当てていない、刃こぼれのした切れ味悪そうな包丁が、ユキの頚動脈のあたりにピタリと押し当てられる。

「すぐ……楽にするから……すぐ……ユキ……」

こんな包丁で切られて楽に死ねるわけがない。

ユキは、やがて自分に訪れる無残な死に様を想像し、涙をこぼした。

「ユキちゃん!」

春日井駅で車内に入った小夜が、車両をどんどん移動していって、ようやくユキのもとへと辿り着いた。

小夜の出現でギョッとした貢一は、後ろを振り向いて、接近してくる彼女に対して包丁を向けた。

「やめなさい!」

小夜は叫び、貢一に向かって手を伸ばす。

「邪魔すんなぁぁ!!」

貢一は包丁を振り、小夜の黒スーツを切り裂いた。

胸元が切り裂かれ、白いシャツが露わになる。幸い服一枚残っている状態で、肌や肉までは達していない。

「いい加減にしないと罪が重くなるわよ!」

「知ったことかよ! どうせ僕はもう駄目なんだ! ユキがいないと駄目なんだ! だから、死んだような人生を送るくらいなら、今ここで彼女をぶっ殺して、自分も死刑になった方がまだマシだ! ああ、マシだよ!」

「本当は死刑になる覚悟もないくせに偉そうに言うんじゃないわよ!」

「な、なんだと、お、お前に、僕の覚悟が、わかるもんか。ぼ、僕は本気だぞ、本気なんだぞ!! おおおおおおお!!」

甲高い雄叫びを上げ、貢一は包丁を腰溜めに構えて、体当たりするように小夜へと突進していく。ヤクザの鉄砲玉がよくやる、捨て身の刺突。かわしにくい攻撃だ。

小夜はいなそうとしたが、頬の傷がズキンと痛み、片目をつい閉じてしまった。

気が付いた時には、貢一の接近を許してしまっていた。

ズン、と腹に衝撃が走る。

「いやああああ!!」

ユキの悲鳴が聞こえた。

(あ……)

ドロリと腹部から溢れ出る血。命がこぼれ落ちていくのを感じる。

小夜は腹を押さえたまま、膝をついて、虚ろな目で貢一を見上げた。紙袋を被って狂気の殺人鬼と化した貢一を。

(ユキちゃん……)

守れない。

エリカの時のように、自分は女の子一人守れない。

それどころか、もうすぐ死んでしまう。

(神様……ううん、悪魔でも、いい……魂を売ってもいい)

小夜は薄れゆく意識の中、天に祈った。

(誰でもいいから――だから、ユキちゃんを守って――)

ガシャン。

隣の車両に通じる扉――の窓ガラスが、突如として、音を立てて割れた。

ユキも、包丁を振り上げていた貢一も、瀕死の小夜も、音のした方向を振り向く。

黒い巨体が、扉の向こうに見える。

ドンッ、と轟音が響き、割れた窓から、紅蓮の炎が噴き出してきた。

「わああーーーーー!?」

貢一が絶叫する。

炎は、ただの威嚇だった。

噴射が終わった後、扉を開け、ズン、と電車の車体を響かせながら、重量感のある黒ずくめの怪人が、この車両内へと侵入してくる。

一歩進むごとに、ズン、ズンという重い足音が響き、背中のガスボンベの金具がガシャンと鳴る。ズン、ガシャン。ズン、ガシャン。リズムよく鳴る行進のメロディは、犠牲者を死へと誘う葬送曲だ。

シュウシュウと聞こえる呼吸音が髑髏型のガスマスクから漏れており、さながら悪魔の息遣い。漆黒の闇を湛えた眼窩は、一切の感情を感じさせない。まさに死神の容貌。

爆発耐性もある黒く大柄なスーツは、マッドバーナーが左右を向くたびに、ギチギチと革製品のような音を立てる。

「マッド――バーナー」

小夜は、腹部の激痛を忘れるほど、意識を覚まされた。

かつて自分の恋人を殺した仇敵が目の前にいる――

ドンッと轟音。

またも火炎放射器から噴き出される業火。

上方に向けられて放たれた炎が、車内広告や路線図を焼く。車内に焦げくさい臭いと、熱気が篭もる。粘着性の可燃剤が天井に付着し、そのまま炎に包まれて、ゴウゴウと天井板を焼き続ける。

紙の燃えカスが、ヒラヒラと舞い落ちた。

燃え盛る灼熱の炎に囲まれ、黒い巨体を揺すらせながら、マッドバーナーは迫ってきた。

ーーーーー(以上、引用終わり)ーーーーー

『マッドバーナー』の主人公は、殺人鬼である。

人を殺さないと自分自身も死んでしまう、という呪いを受けた青年・遠野玲(とおのあきら)が、ガスマスクと耐火服に身を包み、火炎放射器で人々を焼き殺していく。世間からは「マッドバーナー」と呼ばれ、恐れられている。

そんなマッドバーナーを執念深く追い続ける、少林寺拳法の達人である所轄の老刑事・倉瀬泰助(くらせたいすけ)。

倉瀬と行動を共にする、人の心を読み取る能力を持つ本庁の女刑事・上杉小夜(うえすぎさよ)。

そして、不思議な力を持つ、謎の多い女子高校生・風間雪希(かざまゆき)。

この他にも多数のキャラクターや勢力が登場し、お互いの思惑が入り乱れながらの激しい戦いを繰り広げる物語であり、ジャンル分けするのであれば「伝奇アクション」になるのだと思う。

文字数としては、全部で約50万字。

そこそこ厚めの『ファイティング☆ウィッチ』で約13万字なので、およそ電撃文庫4~5巻分の分量を書き上げたことになる。

たしか完結まで半年ほどかかった記憶がある。となると、1日あたり400字詰原稿用紙でおよそ7枚ほどの文章を、毎日書いていた、という計算だ。

正直、1日あたりの執筆量としてはたかが知れている。だが、それを毎日、である。どんなに仕事でメンタルをやられていても、飲み会の後でフラフラになっていても、病気で寝こんでいても、「何としてでもやり遂げてやる!」の執念で、時にはベッドに横たわりながらノートパソコンを使って執筆していた。

あまりにも熱を入れて書いていたせいで、寝不足や疲労がたたり、半ば気絶に近い形で倒れてしまったこともある。それでも、日々の連載に穴を開けることはないように、這ってでも書き続けていた。

一方、会社では、相変わらず他人とのコミュニケーションが上手くいっていなかった。

そのうち、なぜ自分はこんなにも対人関係で苦しまなければいけないのか、と苦悩するようになった。

私は、特に悪意あって行動しているわけではない。自分がやれる最大の力を出して、出来る限りの配慮をして、一所懸命目の前の仕事に取り組んでいるつもりだった。実際、やれることは全てやっていた。

たしかに私は変わり者かもしれない。だけど、私は周りのことを理解しようと努力している。「常識」とか「普通」と呼ばれるようなものが何であるかを学ぼうと頑張っている。それに対して、周りの「自分は常識がある」「自分は普通の人間」と思いこんでいる連中は、何をしているのか。

(私があなたのことを理解しようとしているように、あなたは私のことを理解しようとしてくれていますか?)

そんな疑問が、怒りとともに沸々と湧いてきた。

気が付けば、その怒りを、『マッドバーナー』の中に叩きつけるようになっていった。

ーーーーー(以下『マッドバーナー』より引用)ーーーーー

「しかし、あの有名なエド・ゲインも、アンドレイ・チカチーロも、結局はボロが出て捕まってしまった。今の日本の警察は、その当時のアメリカやソ連の警察と比べて、遥かに捜査能力は進んでいる。どこから俺の正体が漏れるかわかったもんじゃない」

「エド・ゲインは知ってるわ。『悪魔のいけにえ』でしょう。でも、アンドレイって誰だったかしら」

「アンドレイ・チカチーロは旧ソ連で五十人もの人間を惨殺した、正真正銘のシリアル・キラーだ」

「ふうん。よく知らないけれど」

「殺人鬼にありがちな、社会的に孤独な男だったようだ」

彼は、能力は極めて優秀だった。軍隊でもその後の新聞社でも、それなりの名声を得ていた。それなのに凶悪な連続殺人鬼として歴史に名を残してしまった。

彼を殺人鬼たらしめた要因はいくつも考えられる。例えば、父親はナチスの収容所で生き延びたにもかかわらず、「生き恥だ」と罵られていた。例えば、小学生のときには、「おかま」とあだ名をつけられて馬鹿にされていた。例えば、愛し合った女性との性交で不能状態となり、混乱したチカチーロは色々な方法で自分の精力を高めようと奔走した、等々。

だがそういったことが直接の原因となって、彼を殺人鬼の道へと追い込んだのではない、と俺は考えている。

この世界は、「理解される人間」と「理解されない人間」、この二種類に分けられてしまう。大半の人間は、「理解される」側に回る。「理解されない人間」は、ごく少数である。

「理解されない人間」に区分けされた者は、それでも社会の輪に入ろうと努力する。ところが社会は、彼を決して理解しようとはしない。「理解されない人間」は、それでも輪に加わろうとする。そのうち、なぜ自分が理解してもらえないのか、もどかしさや不満や悲哀を胸に抱き続ける。

やがて長い歳月の間に歪みは積み重なってゆき――爆発する。

その爆発がよい方向へ向かえば、アインシュタインのような天才を生み出すのだろう。

しかし負の方向へ向かえば――最悪の場合、殺人鬼となる。

☆ ☆ ☆

初めてユキと出会ったのは、高校一年の春、部活動選びのため文芸部に足を運んだ時のことだった。

色々な小説が並んでいて、本を読むのが大好きな貢一は一冊、一冊、手に取っては、

「へえ、泉鏡花に、川端康成。あ、徳田秋声もある。いいなあ、この部室、いいなあ。幸せだなぁ」

と独り言を言っていた。

ふと気がつくと、二年生以上の先輩たちは作り笑いを浮かべていて、同じ一年生の見学者たちは気持ち悪そうにこちらを見つめていた。

周りから、(キモい)と言わんばかりの空気が流れてきているのを感じ、貢一は恥ずかしくなって本を棚に戻すと、

「ごめんなさい」

と呟いて、真っ赤にした顔をうつむかせながら、部室を飛び出した。

室内から笑い声が聞こえてきた。きっと自分のことを馬鹿にしているんだ、また小学校、中学校の時のようにいじめられるんだ――と思い、泣きたくなってきた。

昔から周りとの感覚のズレに悩まされてきた貢一は、それでも周りと同調しようと、一所懸命頑張ってきた。それでも根本的なところで他の人間と合わなくて、貢一はずっとずっと苦しんできていた。

高校こそはと心機一転、自分の感覚を世間の常識に合わせようと努力するつもりだったが、最初にしてこの調子だ。

(僕は、一生、誰からの理解も受けられないんだ)

絶望的な孤独感。ただ他人と感覚が違う、その一点だけで、周りの人間は自分をもてあそび、馬鹿にし、差別する。こんなにも頑張っているのに、その頑張りすらも、面白おかしい足掻きとして、みんなは物笑いの対象にする。唯一自分を笑わないのは両親だけだった。

いっそもう家に帰って、母と楽しくお喋りでもしていようか、と思っていた。

「待って」

誰かが後ろから駆け寄って、袖を掴んだ。

「だめ、逃げたらだめ。私だって戦ってる。あなたも逃げないで――」

振り返ると、ストレートの黒髪の美しい女の子が、真剣な表情でかぶりを振っていた。

今まで母以外の女性に優しくしてもらったことのない貢一は、こんな風に自分を心配してくれる同世代の女の子がいることに喜びを感じた。

それがユキとの出会いだった。

☆ ☆ ☆

いつの時代のイスラエルか。

自分が生まれたとき、すでにその地は争いに包まれていた。人が人を疑い、人が人を否定し、人が人を殺す。

特定の宗教に対する信仰心さえあれば、ルクスは心の拠り所が出来て、いまのような思想を持つようなことはなかっただろう。ところが不幸なことに、彼の父はアイオーン教団の人間であった。一歩離れた視点から、イスラエルという地を冷静に分析していた。それがよくなかった。

ルクスにとって、人間のもつ“悪意”こそが世界の全てであった。

彼が導き出した結論は、「人間は人間を否定するために生まれてきた」というものであり、人間が二人も揃えば、いつかは殺しあう――という考えである。

だから、彼は父に連れられて世界を放浪するに至り、平和な国もあることを知って、愕然とした。

上辺だけの安らぎに身を置く、愚か者たち。彼らは人間の本質を何もわかっていない。

法律も、道徳も、全ては人の“善意”を基準として作られている。“悪意”は常に罰せられる。だが、“悪意”こそ人間の正しいあり方であると思っているルクスは、“善意”を主軸に据えたこの世界の構造に対して、大いなる疑問を抱いていた。

「正す」

この世界を正しい方向へと導く。

そう決断した時から、彼はあらゆる場所において、人間の“悪意”を覚醒させるべく、自ら行動を起こしていた。

ーーーーー(以上、引用終わり)ーーーーー

自分自身の怒りを叩きつけているがゆえに、半分は私小説のような体となっていた『マッドバーナー』であるが、幸いにして一定数の読者はいた。

その当時は自分のWEBサイトに掲示板を設けていたので、感想を書き込んでくれる人達もいた。そういった数々の応援を受けて、私は次第に自信をつけていった。

そしてついに、物語は完結を迎えた。

やっと終わった、と力が抜けるのかと思いきや、その逆で、心身共にエネルギーに満ち溢れているのを感じていた。

(これだけの文章を書くことができるんだ・・・・・・!)

今から読み返すと、場当たり的な展開もあるし、文章や心理描写が稚拙な箇所も多々ある。それでも、読み物としての体裁はある程度整ってはいた。

何よりも、苦しみや怒りといった負の感情から始まった『マッドバーナー』だったが、書き続けているうちに自分の中で感情の整理がついてきて、最終的に人間存在に対する希望を見出して終わることができた。

ーーーーー(以下『マッドバーナー』より引用)ーーーーー

清澄は、8歳の時、どうしても死のことが恐ろしくなり、ご飯も食べられないほど悩んだことがあった。歳の割には難しいことを考える、早熟な子だった。

「お母さん、怖いよ。死んだらどうなるの? どこへ行っちゃうの? 怖いよ、お母さん、怖いよぉ」

夜、母の布団に潜り込んで、その身に抱きつきながら、清澄はひたすら泣きじゃくった。母に思う存分甘える、この幸せも、母が死ねば無くなってしまう。自分が死ねば、幸せを感じることすらなくなる。

「お母さん、お母さぁん」

何度も、母のことを呼んだ。呼んで呼んで呼び続けた。

母は黙っていた。幼い息子にかける言葉を思案していたのか。しばらくしてから、母はゆっくりと清澄のほうへと体を向けて、にっこりと微笑んだ。

「私が、先に行って待ってるわ。ずっとずっと待っててあげる。私がいるなら、怖くないでしょ?」

「ほんと、ほんとに? ほんとに天国ってあるの? お母さん、待っててくれるの?」

「そうよ。本当にあるの」

「でも、学校の子は、そんなの無いって言ってたよ」

「清澄は、本物のオーロラを見たことがある?」

「ううん」

「中国の大きな河が逆流するところは?」

「知らないよう」

「生きている世界のことを、多くの人々は知らない――知らない風景があり、知らない文化があり、そして自分たちの想像の及ばない考え方をする人間がいることを、ほとんどの人々は知らない。みんな、知らないことだらけなの。それなのに、どうして天国がないと言い切れるの?」

「そんなの……むずかしくて、わかんないよぅ」

「いい? 清澄。よく聞きなさい」

母は、清澄の顔を優しく両手で包み込み、正面から暖かい眼差しを送ってきた。恥ずかしくなった清澄は、母の手からすり抜けて、その胸に顔を埋めた。布団の中で温まった母の体は、ポカポカしていて、なんだか心地良かった。

「天には天の、大地には大地の――人には人の、進むべき道があるわ。人の道とは、天を信じ、大地を信じ、人間そのものを信じること。迷ったときは、信じなさい、清澄。信じて待ちなさい。天地人の三元を信じられなくなったら、人は死を選ぶか、あるいは人を殺すしかなくなる……だから、信じることを諦めては駄目。どんなときでも、人の道を進むのよ、清澄。それが人間の生きる意味なのだから」

ーーーーー(以上、引用終わり)ーーーーー

この『マッドバーナー』を書き上げて以降、文章を書く能力は飛躍的に上昇した。

長文を書くことは全然苦ではなくなり、文庫本一冊分の物語であれば1ヶ月もあれば書ききれるようになっていった。

同時に、この頃から、会社の中で「逢巳は文章が上手い」と評価されるようにもなっていった。

書いている間こそ大変だったけれども、書き切るだけの価値はあった。この時の経験が、最終的に商業デビューへと繋がっていったのだと思うと、やり抜いてみて正解だったと感じる。

2008年は辛く、苦しく、暗い1年だった。だけど、そこであえてさらに自分を鞭打ったことで、その先の明るい未来へと繋がる道を作ることに成功したのである。

『マッドバーナー』は、いつか機会があれば、リブートしてまた書きたいと思っている。その時が来たら、ぜひ皆さんに読んでもらいたい。

私の人生を変えてくれた、とても大事なこの作品を。


逢巳



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