まだ見えない生活ともう見えないいちがつ

 
給料日だったりした、夜のコンビニで100円のアイスを買ってやっぱり今日はいいやって帰って冷凍庫にしまいこんだ、納豆のパスタが食べたいから明日つくろうかなぁ、早起きなのに今日も夜ふかしをしている、たぶん、あと2時間くらいは眠れずにいる。
 
 
わずらわしいのは生活なんかじゃなくて未来だってこと、前向きと楽観は違うよってわたし誰かに叱られたとしたらきっとそのひとのことを鬱陶しいって思ったりするかしら、ちゃんとしなさい、恵まれているのか放されているのか逃げているのか、そういう類の善意にも悪意にもあんまりあったことがない。

冷たい風の中を歩いているあいだイヤホンから流れる音楽の主人公になったふりをするのが好きだった、ひえた洗濯物をたたむあいだぼんやりと詩のことを考えるのが好きだった、食器を洗うあいだ、髪を乾かす間、生活音を伴奏にうたいたい歌をうたうのが好きだった、
じゃがいもの皮をむくたびに思い出す『ソラニン』のこと、お風呂にはいるたびに考えるじぶんのからだのこと、眠る前にこうして打つ言葉のこと、
けして整っていると言えない自分の生活のはしばしにもいとおしさはあって、だからもっとうつくしくなりたい、愛せるようになりたいと、みんなそれだけなのかもしれないと思った、
自分に確固たるうつくしさがあれば、なんでもない生活が映画になったりするかもしれない、1500円のトレーナーで眠る姿が絵画になればいいのか可愛くてふわふわの部屋着で眠れば絵画になれるのかわかんなかったけど、とりあえず、好きな服を悩んで選んで買ったり買わなかったりするちょうどいい清潔さでありたい。
 







生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。