こんな激情までなんとか形を整えようとか

 
流れ星が流れたとき、あわててお願いするの、いつも“しあわせになれますように”って、そんな漠然とした願いだった。かみさまも困っちゃうよね、ねぇ、しあわせなんて不確かで、曖昧なもの。

 

短い恋がぼんやり終わったりしました、ひとを大事にするとかひとに愛されるとか愛するとか、自分に自信が持てないとどうしてこんなに難しいんだろうと思う、それ以外しあわせなんてないような気さえするのに。
まるごと詩にも物語にもなんないからショウカの仕方もわかんないしひとりじゃ上手に泣けやしなくて、聴いた歌の詞があんまりにもキレイだったからくやしくてくやしくて仕方なくなった、
あたしはあたしの詩が好きで、あたしの激情が愛しいよ、だから、なおさら、さみしくってくやしいんだよ、書いて書いて、そうやって、価値になんなきゃおかしいでしょって、意味がないでしょって、思っちゃうんだよ。

こんな波を繰り返してあたしの言葉が詩になるならそれでいいかな、生活は相変わらずままならなくて頑張るのが下手くそになったからいきるだけでなんとか、ねぇあたし、あたしが大好きなあたし、なにもかも免罪符にしたりしないでね。
感情は、激情は、詩は、あたしの武器で、あんたがするべきなのは、これを磨いて使って壊して直して呪ってまた磨いて、そうやって手に馴染む一生の武器にすることだよって、言い聞かせてまた眠る、体がだるいの、美味しいものたくさん食べたいね、じょうずに美しく、美しくはなれないけど。

 

かみさま、ひとにも詩にも愛されていきていきたいの、わがままだと思いますか、その分、ううん、その何倍もひとを、詩を、愛していきられるようにがんばるからゆるしてくれませんか。


生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。