憎しみすらない父親の話とくだらない懺悔

とあるサイトの公募で“父に伝えたいこと”みたいなテーマがあって、あぁ応募しようかなとつらつら父親について思いだして書いていたのだけれど、たぶんこれはテーマとそぐわないから、ここに置いておくことにします。長いけど。
結論から言うと、伝えたいことなんてなかったのだ。そんなことを思うほど、わたしはあの人から、なにももらっていない。わたしの人生にあの人は、なにも与えていない。
よくドラマや小説で、「それでも親だから」憎めないとか、愛情を期待する感動の悲話があったりするけど、あんなのやっぱりフィクションだって思ってしまう。
父親としての素振りのないひとを、誰がどうやって父親だと思えるだろうか。血の繋がりなんて目には見えないものを、どうやって重厚にこの手に感じられるだろうか。
バラエティ番組で、生き別れた顔も見たことない親を探す人の気持ちは、たぶんずっと理解できない。 
単にわたしが、冷たい人間なんだろうか。
 
 
わたしが見たことのある父といえば、仕事はせず、煙草を吸ってパチンコに行き、浴びるように酒を飲んでは不機嫌になって怒鳴り散らし、母親と言い争って物を投げては年の離れた姉たちと掴み合いになり、挙げ句の果てに包丁を持ち出しては母にお前を殺して俺も死ぬと迫ったりするような人だった。
今、少しは大人になったわたしが称するなら、父はとんでもなく臆病で、弱い人だったのだと思う。  
もちろん愛された思い出などあるはずもなく、父親と自分の関わりで覚えているのは、近所の自動販売機で煙草を買ってくるように言われて、身長が足りずに一番下の段の別の銘柄の煙草を買っていって怒鳴られ二度と頼まれなかったことと、夕飯時、大抵不機嫌だった父親に気まぐれにいただきますの声が小さいと何度も怒鳴られたことくらいだ。
 
台所の端にあった裏口でひとり、包丁の先を浅く浅く腹に刺していた父親に救急車を呼んだのは1番上の姉だった。下の姉や兄は、大した傷ではないと冷静に言い放った。母親は、泣いていた。
どうしてこの人は、この男が傷ついて泣いているのだろう、どうして救急車を呼んで、助けようとするのだろう、腹を刺しているならほっとけば死ぬんじゃないのか、そうしたら、みんな解放されるんじゃないのか。まだ3、4歳、死の概念も曖昧で、わたしが、ほんとうに純粋にそうやって父親の死のみを願っていたことを鮮明に覚えている。 
 
 
こんなこと言ってはいけないのはわかっているのだけど、いっそ殴られていれば、と、思ったことがある。
わざわざ自分から話すわけではなかったけど、事情を聞かれてなんとなく話をしたとき、時折、殴られていたわけでなくてよかったね、性的な暴力を受けていなくてよかったね、と言う人がいた。わかっているのだ。そのひとの地獄なんてそのひとにしか理解できなくて、わたしたちは外から想像するしかない。
不幸も幸福も比べるものでもないんだけど、ドキュメンタリーやニュースになるようなもっと過酷な環境で育ったひとと比べて、たぶん、わたしはその人に“恵まれて”いると思われたのだろう。仕方がなかった。わたしだって、本当に身体的な虐待を受けていた人のとんでもない苦しみを、曖昧に想像することしかできない。
いろんな事情を抱えた家庭があること、想像でしかないけどわかった上で、それでも、異性の親からの愛情というものがとんでもなく良いものに見える。片親なんて珍しくもない、と言われることを、励ましや理解だと思えなかった。珍しくないし間違いでもないし幸福にはなれるけど、でも、たぶん、それはマジョリティになるべきじゃない。
 
たとえば今でも大きな声や物音にひどく怯えてしまうこととか、張り詰めた空気に心臓が耐えられないこととか、そういうの、トラウマみたいな、生きにくさ。言い訳がほしいのかもしれない、と思うことがめちゃくちゃ悔しくて仕方なかった。
わたしが、わたし自身がもっと賢く強く美しくあればいいだけのはなし、幸せだし、もっと幸せになるから、関係ないただの過去のはなし。
 
 
わたしが7歳になる歳、ようやく限界を迎えた母と家を出てから、まぁ数年はときどき出くわして警察に逃げ込んだり色々あったのだけど、そこからは一度も会っていない。
そしてそのまま、中学1年生のとき、父親はこの世を去った。どこにいたのか、何で亡くなったのか、母と姉が直後に一度だけお参りに行ったらしいお墓の場所まで、わたしは何も知らない。知りたいとも、絶対に知りたくないとも、特に思わない。
恨んでいるとか憎んでいるとかそんな激しさはピンとこなくて、ただ、命とか尊厳とか、 脅かされずに暮らしたかっただけだった。今も変わらず。ああいうひとに脅かされない、誰のことも脅かさないように、と注意をはらうだけ。
 
もうあのひとは、わたしの人生にはいない。この世界にすらいない。わたしはわたしで、勝手に幸せになるしかないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。