それでもひとのよわさとさみしさしか愛しがれない
どうせなら欲望にも愛想を尽かされたかったのに彼らはしぬまでそばにいてくれるらしい、ひとりになりたいと思ったりするのはどうせ理由もなくさみしいからで、ねぇ、欲しがったのは孤独と似た別の自由で孤独そのものではないのよって、夜が明けるまで一晩中、きみに説いて叱られたかった。
(散文『フロストシュガーならゆるしてくれたのに』より)
ちいさな絶望がつみかさなるのは欲望も期待もわたしのからだから片時も離れずにいるからで、でも彼らがいないといきることもきっとできないから上手に手を繋いであたたかい陽の中で散歩したい、のに、いつもものすごい速さで引っ張られてつかれきってしまうの、むずかしいね。
11月ももうすぐ終わるって、相変わらずうしなった恋とぼやけた生活のことばかり考えて時間がすぎていくの、もったいないよって言ってくれるひとがいるし、ありがたいから笑って過ごさなきゃってあかるくなっては泣きたくなって、
先月の終わりにぼんやり見た占い、11月はラッキーだって書いてあったのになぁ、って、大してあてにもしてない占い師に心の中で悪態をついて寒くなってきたまちをひとりで歩いていると、ほんとうにさみしくて、なにしてんだろって思っちゃうの、
せめてそうやって歩いてるすがた、映画みたいにうつくしかったら良かった、ハッピーエンドをひきたたせるための冷たい雨だって、しんじていられるなら綺麗に泣いたりできるかもしれない。
愛情をたべていないと最低限の生活もできないけものになるのがこわくって、なおさらひとりのヒトとしてちゃんと立っていなくちゃと思う、
そうしたらもっと、濾過したみたいな純粋な哀しみだけをただしく抱きしめられる気がする、
乾かない洗濯物のつめたさも生活として受け入れられるかもしれない、コインランドリー、やさしい愛しい人といつか一緒にいきたい、ふたりで他愛のないことを話しながら、わたし、ぐるぐるとまわるきみの服を想いたい。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。