Spider in The Brain

 彼女の脳には蜘蛛が巣くっている。そんなこと、僕には容易くわかる。目を見ればいい。そういう人間はまず間違いなく瞳が、梅雨のときの雲のような灰色に濁っている。
 然し、彼女はいつ何時でも狂った素振りは見せない。狂っているのは精神だけ。それだからこそ、蜘蛛が住み着いたのだ。そう、狂ったのが先、蜘蛛が入ったのは後。
 蜘蛛は住み心地が良さそうな人間に侵入する。具体的に言うと、若く、身長が低く、甘ったるい声をしていて、可愛いものが大好きで、それでいて煙草を吸う女を狙う。煙で濁り、狂った女を、蜘蛛は何よりも好む。
 では、女の脳内でその蜘蛛は何をするのか? 巣を張って何をするのか?
 何も命を取るわけではない。ただ、女の狂気が粉塵となって舞うのを糸で受け止め、それを「美味い、美味い」と喰らって、ゆっくりと成長していくのである。充分に成長した蜘蛛は、やがて脳内を綺麗に片づけ、去っていく。
 そんなことなど露知らぬ女は、いつの間にか、常人に戻る。瞳は黒目になり、心に秘めていた狂気は忘れてしまう。
 こんな蜘蛛は当然、自然界に居る筈もない。実は僕が暗く狭い部屋でひとり、大量の虫かごの中で生産している。此処で産まれ育った蜘蛛を、都会の街中で前々から目を付けていたターゲットに向けて放つ。すると、すっと鼻から吸い込まれていく。狂気をたっぷり吸い込んだ蜘蛛は、最初は黒かったその体を、虹色にして我が家に帰ってくる。と、こういう仕組みだ。
 さて、そうやって帰宅した蜘蛛をいったいどうするか?
 僕が、喰う。一匹ずつ摘まんで喰うのだ。僕はこれを喰うことでしか生きていけない。
 初めはほんの小さな好奇心だった。横で寝ていた恋人から這い出てきた虹色の蜘蛛を、直感的に「美味そうだ」と思い、口にしてしまったのだ。それからというもの、虹色の蜘蛛の虜となり、喰わずにはいられなくなった。そして今は、虹色の蜘蛛を作り出すことしか頭にない。生活が蜘蛛中心になっている。
 そうそう。最近何だか違和感があるのだ。蜘蛛たちは何にもしないで出ていき、帰ってくるようになった。それは何故か僕が部屋から出られなくなった日――ある朝、“僕”が何か気がかりな夢から目を覚ま――した、その日から、だ……。

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