見出し画像

忘れられていく

上信越道から長野道に入り、信州中野で降りて山を登り志賀高原へ。その途中に台風19号の際に堤防が決壊した千曲川のエリアがある。

今はどうなっているのだろうと思い、しなの鉄道の三才駅から千曲川に向かって歩くと拍子抜けした気分になる。「何もない」ダンプカーが行き交うのをみていると、やがて気づく。そうか、何もないんだ、今は。当たり前だよな、だからここに来たんだよな。

画像1

りんご畑と車両基地

流されたのだとわかってはいても何かを探したいわけで、北陸新幹線の車両基地を目指す。車両基地を一望できる陸橋に登るとなおさらよくわかる。
「本当に何もない」

画像2

留置線には水没したのであろう車両が並べられていた

画像3

何もない中を豊野の駅に向かうと、ようやく集落が見えてきた。しかし人の姿はない。そして、集落だと思った民家は全て玄関や窓が流されたゴーストタウンになっていた。何枚か写真は撮ったものの、被災した自分の家をこう撮られたら嫌だろうなと思えて、あまりシャッターを切れなかった(だからここにアップするのもためらわれる)

画像6

飯山線の立ケ花駅は千曲川の氾濫によって水没した

画像7

駅には泥を被った自転車が放置されていた

私は別にジャーナリスト気取りでここに来たわけではなく、志賀高原でスキーがしたかっただけ。そして1日に40キロ以上滑り、湯田中温泉からもう少し奥の渋温泉に宿泊。こじんまりとしたいい温泉街だった。雪景色もいいし、夏は夜に温泉街をゆっくりと散歩するのもいいだろう。

画像5

志賀高原に来たら渋温泉で一泊しようと思う

長野電鉄とはどんなものかを見ようと湯田中駅へ。長野電鉄では元東急の8500系が走っていることを知っていたので、ちょっと興味があった(長野線は勾配がきついため8500系は走っていないらしい。知らなかった)

画像8

東急の車両が来ると思って待っていたら、やってきたのは日比谷線だった。これはこれで驚き。下道を走って小布施で栗の和菓子を買い、味噌ラーメン。うん、ここもまた来よう。

のんびりとした旅の帰り道を思い出す。

今は、このコロナ騒動の中で正義や分断を叫ぶ人たちの声にかき消され、もう誰もこの地域のことを覚えていないだろう。来年また志賀高原でスキーをしようと思ったとき、湯田中や渋の温泉街はどうなっているのだろう。

立場の違いによる対立や分断を煽り自分を正当化する人は本当に必要ないと思う。また同様に、被災地を忘れるなと大声で叫ぶのも違うような気がする。

寄り添っていてくれる人が必要なんじゃない。誰にとっても。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?