見出し画像

【アート企画解説】視線で言葉をつくることは自分の思考の使い方を見直すこと

ALSという難病の治療研究支援をしている「せりか基金」というファンドがあります。宇宙兄弟というマンガから生まれて現実世界に貢献(影響)しているというのがとても好きで、私も月額支援をしています。

作品制作を通じて、具体的な医療貢献をしたいなぁというのはずっと思ってたんですが、これを機に小さく始めようということで、支援額と同額の作品をネットショップで毎月2点ずつ販売することにしました。

2020年7月からは販売する作品の内容をALSをもっと絡めたものにすることにしました。8月の企画2本目は寝転がりながら空を見上げ、空に視線だけで模様を描き、参加者同士で会話するというものです。

「星を見るように視線で会話する」では、みんながリアルあるいは仮想空間の中で寝転がって空を見上げます。自分の視線に反応して、見ている空に線を描きます。線の太さやかすれかた、どのくらいの速度で消えていくかなどは事前に設定ができます。

最初に決めた自分の「線」を自分のアイデンティティーとして線を描いていく。他の人の線が重なりながら、空に一枚の会話の星空ができあがるというものです。

ALSでは目を動かすことはかなり症状が進行してもできるようで、モニターで視線を読み取ることで会話する方法が取られることもあります。あとは、脳波を読み取る研究なんかもなされているみたいですね。

「言葉」っていうのは、知識を伴うものなので、言葉が拙いとそれだけで知性が劣っているとみられることもあります。聴覚障がいがあって話し方が拙いとか、ALSのように言葉がうまくしゃべれない時、また母国語じゃない国で拙い英語を話そうとしたときにも生じます。

うまく話せないことは、そのまま知のレベルを表しているわけではないのですが、人が誰かを知ろうとする時に、他に分かりやすい判断材料がないんじゃないかなと思います。

オンラインゲームとかもそうなんですが、いろんな世代の見知らぬ人たちと匿名で出会った時、一度の関係性に過ぎないこともあって、言葉が暴力をふるうことがあります。

もしも、コミュニケーションが「言葉」でなかったら、激しく視線をぶつけられることは「暴力的」に感じるのか。それともある種の「美」として捉えるのか。

視線というコミュニケーション手段によって描かれる作品をほかの参加者と一緒に創り上げるというプロジェクトです。

画像1

このプロジェクト、模様を描くだけならさほど難しくないと思うのですが、たぶん視線だけで「言葉を書く」としたらけっこう大変だと思うのです。パソコン入力や音声入力と違い、目を動かして「文字」を書くとしたらとても大変なはずです。

視線を使う場合「文字を書いて伝える」という行為にかなりの時間を取られます。そういう状況の場合、たとえば誰かを誹謗中傷する言葉や、自分の過去の失敗を考えてしょんぼりする言葉を書くだろうか、と思うのです。

なんかもっと「幸福」とか「希望」とか、ポジティブな言葉を書くのに時間を使う気がするんですよね。けっこうな時間をかけて苦労をしながら「自分は全然ダメ」って書かない気がするのです。

でも、ふだんはやってしまいませんか。同じように貴重な時間を使っているのに、自分や人に対してイライラしつづけていたり、後悔ばっかりしていたり。そういう思考にどれだけ時間を使っているかってなかなか認識できないですが、けっこう使ってしまっている。やめたいと思っているのに、いつの間にかまたイライラしていてなかなか自分の意志でやめられない。

あえて時間をかけることにより、線をつくることに集中でき、「自分が今、本当に伝えたいのは何か」を改めて見直すことができる。

この企画は、視線による共同創造のプロジェクトであるとともに「自分自身が選択したいこと」を浮き彫りにするプロジェクトなのです。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

せりか基金に興味がある方はこちらからどうぞ!


ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!