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大聖堂の階段で聞いた「人生がうまくいってるサインの見つけ方」の話

 マッシュルームを買いに屋外マーケットに来ると、花屋さんでは黄色い水仙の花がたくさん売られていた。フィンランドは寒い国だから、あまり花や野菜はないのかと思ってたけど、ここに来た三月から、野菜も生花も豊富にあった。同じくらいの緯度にあるロシア、クロンシュタットにいた時とは大違いだ。ここからそれほど遠く離れているわけでもないのに。どんなものであれ、ささやかな違いは私にとって喜びに感じる。

 マッシュルームと玉ねぎを買ってから、トゥルク大聖堂の近くを通って家へと急ぐ。石畳のゆるやかな上り坂で、なんとなく自転車を下りる。教会の前の階段に腰をかけて、いずれ別れる町へと視線を注ぐ。

 トゥルクに来たばかりの時と、自分はどれだけ変わっただろうか。この二ヶ月でできたことはなんだろう。このまま去ってしまっていいのだろうか。ちゃんとやれるだけやれた?やり尽せた?

「全然できなかった」自分を、後で後悔するだろうか。もっとやればよかったのに、もっと頑張ればよかったのにって。そう思うと、悲しくなってくる。自分は、自分にもっと期待してやれなかったのかと。正しい道なんてなくても、自分が歩んでいる道が間違ってない、これでいいんだって確信できたらいいのに。

「うまくいってるサインが、空が赤くなるみたいに、もっと分かりやすく出ていたらいいのになぁ」

 誰も聞いていないと思った私は、空へ向かって日本語で言う。

「えっ、なに、なんて言ったの?」

 後ろから声をかけられて振り向く。教会の扉から出てきた人がいたのに気づかなかったようだ。

「ああ、すみません、独り言です」
「びっくりした、何語?」
「日本語です」
「日本から来たんだ?」

 波打つ金髪の四十代くらいの女性。大きな花柄のシャツに水色のスカーフ、三角の金のピアスが片耳で揺れる。

「なんて言ったの?」
「ああ、人生がうまくいってるサインが、なんか分かりやすい形で出てきてくれてたら、もっと生きやすいんじゃないかなって」
「なるほどねー」

「座っていいかしら」、彼女はそう言って、私の横に腰を下ろす。

「うまくいかないことがあったの?」
「いえ、どちらかと言うと、かなりうまくいってると思います」

 私の答えを聞いて、彼女は笑い出す。

「あなたはうまくいってるって分かってるのに、サインが欲しいなんて思うの?」
「そうですよね。なんていうか、理屈では分かってるんですけど、もっと感覚的に実感したいっていう感じ」
「自分でうまくいってるって思うことは実感にはならないってことね」
「はい」
「それはね、たぶん現実の世界に住んでないからだと思うわ」
「えっ、どういうことですか」
「大きく息をして」

 私は彼女が目の前でやるのに従って、息を大きく吸って吐く。

「風が肌に当たるわね」

 肌寒さを感じさせる風の匂いに、土の匂いがわずかに混ざっている。

「鳥の鳴き声がするでしょう」

 高い分裂するような声、歯車が回るような機械的な声、いくつもの鳥の声が重なって聞こえる。

「今、あなたが現実に生きているのはここなの。・・・身体はどんな感じ?」
「肩が、ちょっと痛いです。あと、頭の奥が少しぼんやりする」

 長時間の作業に向かない低い机で、パソコンに向かい過ぎなのかもしれない。ここ最近は、朝、パソコンをつけてから、一日中つけたままにして生活していた。

「毎日食べているもの、周りにある音や匂い、手や足に触れる感触、目に映る景色。どれ一つ取ったって、同じものはないの。あなたにしか分からない特別な世界。実感したいって言ってる割りに、あなたは感覚を使ってないのよ」

 去っていく彼女の後姿を見ながら、誰かの声がさっきよりくっきりと聞こえるのを耳にする。折り重なるように色が連なった木々の緑。慣れない手ごねのパンみたいに形の違う石畳の地面。青い空に、ちぎられたような雲がいくつもいくつも並んでいる。

「この世界に生きててよかったなぁ」

 そう思えることが、うまくいってるサインだ。きっと。

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