社会を治療するという概念について今考えていること
個人に向かっていた医療を、その社会の中に活きる個人に向かわせることができないかっていうのを最近はずっと考えています。
この概念に社会治療っていう名前をつけたんですが、みんながお医者さんとして自分が生きる社会を治療することで、社会が自分たちを癒してくれる、みたいな感じです。
ヨーゼフ・ボイスっていうアーティストさんが「社会彫刻」っていう概念を打ち出していて、私はこの考え方がとても好きなのですが、これはみんなが社会という作品をつくるアーティストだよっていう意味愛だったりします。
ボイスは政党までつくって活動してたんですね。それだけ社会というものがそこに暮らす人々に与える影響について考えていたのかもしれません。
複雑な概念をなるべく早く浸透させるには物語が必要
アーティストとしては、キース・へリングのメッセージ性とストーリー性は本当にすごいなって感じています。
作家のストーリーと相まって、エイズ撲滅だったり、人類への愛だったりみたいなところは、とても分かりやすく伝わると思うのです。
それと比べて社会彫刻はどうかなぁと。アーティストとして社会を彫刻しようってことなので、言葉としてはとても分かりやすいです。でも、意味が分かったところで、それがメッセージとして受け取り手の中でちゃんと息づいて人生が変わるかっていったら、たぶんけっこう難しいと思うのですね。
あと、アーティストになる前の自分がこの概念を知らなかったように、世間一般的に知られている言葉でもないんじゃないかなぁと思います。
私は社会彫刻という概念がとても好きなので、この概念を思い出すたびに救われるような気持ちがするほどなんですが、生み出した概念がちゃんと人に届かなければ、それは存在しないのと同じになってしまうとも思っています。
なので、社会治療についても、作品を通じて、どうやったら人の生き方を変えるほど伝えられるのかっていうのを考えています。その上で、複雑な概念であればあるほど、ストーリー性をもったほうが誤解なく伝わるのではないかと考えています。
キースの作品も、人型が描かれているので、動きを想像しやすいんですよね。人の形状というのは世界共通なので、どこにいっても想像しやすい形になっています。
とはいえ、シンプルな人型はすでにキースのアイコンになっているので、これを使うことはできません。二番煎じはアートの世界にいらないからですね。
社会治療のキーになる3つの要素
現状、人が社会を癒し、社会から癒されるという関係をつくるためにできそうなこととして考えているのは3つです。
・笑うこと
・創ること
・移動すること
笑うことと創ることと移動することが、社会を治療することになるんじゃないかって考えている感じですね。なので、この辺りを推奨する作品を創れるのが一番いいんじゃないかと考えています。
最終的には、これを体現した長編小説を書くのが目標なのですが、その構成を考えるとともに、調査としていろんな模索をしています。
1)笑うこと
笑うことは自分の免疫力を高めると言われることがありますが、笑ってる人が近くにいるのってちょっと楽しいですよね。自分の心が狭くなってる時は笑ってる人がいるだけでイラっとすることもあるかもしれないんですが、怒りながら笑い続けるってできないですし、笑っている時の幸せな感情は割と伝播するんじゃないかと思っています。
笑うことで自分の周りにも楽しい気持ちが広がる、という意味で社会への治療効果の高い行為なんじゃないかと考えているんですね。
楽しい話をして笑わせるという技術が自分にはないので、作品としては、笑った時の音(オノマトペ)を通じて、楽しかった時のことを想起させることができないかというのを今は考えています。
キースの作品では人型の形状によってストーリー性を感じさせていますが、アハハハハハハとか音を想起させることによって、自分がそんな感じで笑った時の「自身のストーリー」を思い出させることができないか、というのが現段階で考えていることです。
聴覚を通じて自身の物語を思い出させ、そこから笑顔を生み出し、周りの人にも楽しい気持ちが広がるといったイメージです。
2)自己治癒としての創作
創ること、というのも同時に治療として意味がある行為だなと感じています。以前、病院でアート活動をしていたことがあったんですが、絵を描くという行為が、病気で入院中の子どもたちだけでなく、ご両親にとって助けになったことがあったんですね。
描いてもらったのは、海外でもやってもらってる「塗り絵」なんですが、線がすでに描かれているものに色を付けるって楽なんですね。
これが白紙だったりすると、ふだん描いてないと何を描けばいいのか分からなくなってしまうんです。でも、線が引いてあると、とりあえず塗るってやりやすいんです。
そうしてただ塗っているっていうことが、ちょっと心の癒しになるような感じがありました。創作ってどう創ってもそこに間違いはないからですね。もちろん、コンペで落ちるとかはぜんぜんあるんですけど、それは間違っているわけではなくて、相性の問題だと私は考えています。少なくとも、自分が創る作品に間違いはなくて、あえて間違いと言える時は他者におもねった時ではないかなと思っています。
ドイツの文化省がアートが生命維持に必要だと言っていて、その言葉の意味を考えてみたことがありました。
創作という行為は、自分を取り戻す、自分と向き合うみたいな意味でも、自己防御・自己治癒として作用するのではないかと考えています。ではそれが「社会」とどう関わるのか、についてなんですが、作品が誰かに届くというのが一番大きなことかなと思っています。
作品が作者そのものだとすると、作品を通じて自分が移動していることになります。この「移動」というのを、私は社会治療のうちの一番大事なことだと今は考えていて、作品を通じて疑似的に移動できることが、「移動」という治療の前段階になるのかなと思っています。
3)治療としての移動
移動が治療という意味ではとても大事なんじゃないかと考えたのは、海外での滞在が長くなってからです。生きることの考え方って、場所によってぜんぜん違うんですよね。日本は(日本という大きなくくりではなく、さらに場所によって細分化されると思いますが便宜上)休むことにあんまり適していない気がするのです。
何もせずに休む。ただのんびりする、というのがとても推奨される地域もありますが、日本だと働き盛りの年齢で病気でもないのに何もしないでいるっていうのは、それだけで生きにくい気がするんですね。どことなくプレッシャーを感じてしまうというか。
たとえばタンザニアだと、バスは満員になるまで出発しないとかなので、そもそも急ぎようがなかったりします。(満員になるまで全員が延々と待つ)
その時々の自分のコンディションによって、自分にとって合う場所にちゃんと移動できること。それは、地理的な場所でなくても構わないんですが、働く場所、働き方、仕事の内容、一緒に働く人たちなど、自分を取り巻く環境を、その時の自分に合うものに移動しやすくなっていれば、本人の能力も発揮でき、社会全体にとってもプラスになるんじゃないかって考えているんです。
複数の居場所を持っていて、自分のコンディションによって、軸足をこまめに移動することができたら。行き場所がないと思うと自分を追い詰めてしまいそうですが、いつでも移動できる場所が複数あったら、回復がきっと早いと思うのです。
これまで旅してきた国はまだ17カ国くらいしかないんですが、それぞれそこそこ長くいた経験から、環境が変わることの大事さというのをとても感じています。特に、弱っている時ほど、環境を変えることで回復することを考えられたらいいんじゃないかと思っています。環境っていうのは、物理的なことばかりじゃなくてね。
創作が生きることの保険になったらいいのに
2020年、一時的に田舎のほうに避難してたんですね。そこでも変わらず創作はつづけていたんですが、「絵はそろそろ諦めなさい」「もうちゃんと考えないといけないよね」と言われ続けてそこそこしんどくてですね。
展覧会を機に、また東京のほうに戻ってきました。
現代アートは特に一般理解が進んでいないこともありますが、創作自体が生活できるレベルになるまでに、かなりハードルが高い業種であるため、私の将来を思って言ってくれてるのも分かります。分かるけど、毎日言われ続けると追い詰まるなっていうのも感じたので逃げてきました。
ここ数年、人生全賭けしてアートにつっこんでたので、ちょっぴり実績が得られるようになってきて、ようやく自分でも自信みたいなのが生まれてきましたが、始めたばかりの頃はもちろん不安しかなかったです。
その時に、精神的に支えになってくれてたのが「獣医師免許」でした。医療資格なので、いざとなったら病院勤めに戻れるだろう。だから、いざっていう時まではがんばろうっていう感じで、免許が心の支えになってくれました。
でもね、アートは免許とか必要ないんですが、アーティストって名乗ることでものすごく多くの世界を見せてくれたんですね。いろんな国に無料長期滞在することができたし、展覧会を通じていろんな国の人と出会うことができました。
獣医師免許は国家資格ですが、日本国内で設備がないとあんまり活きないんです。被災地にボランティアに行ったとしても、医薬品がないと何も手伝えなかったりする。ただ、自分にとっては、使えなくても精神的な支えになってくれている部分はとても大きかったんです。
私にとっての獣医師免許がそうであるように、創作するという行為が、人々にとっての心の支え、保険として機能してくれたら、人はもっと適切な場所に移動しやすく、生きやすくなるんじゃないかなぁと思っています。
生活のコストは昔よりもかなり下がっていると思うのです。パソコンだってずいぶん安くなりましたよね。最低限の生活を創作でまかなえれば、創作行為で自己治療しながら、自分にとって適切な場所・生き方を考えるのに十分な時間が取れるんじゃないかなと。
創作行為に免許はいらないので、誰でもどんな状態でも始めることができます。現代アートは特に、素材すら選びません。拾ったゴミで創ったっていいんだよ。
創作で生きられることが当たり前の社会であったら。とりあえず保険として何か創っておくといいよって言える社会であったら。それだけで人が生きやすくなるかもしれない。
今はそんなことを考えています。
ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!