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バルセロナのスーパーで会った男性の「チャリティが嫌いな理由」の話

 切手を買いに、スーパーに行く。
 バルセロナには、野菜やお菓子を売っている小さなスーパーマーケットがたくさんある。バルセロナに来てすぐにハガキを出した時、道行く人に切手を買える場所を聞いた。そしたら、近くの小さなお店を指さされ、そのお店で切手が買えた。

 だからてっきり、スーパーで買えるのかと思っていた。どうやら、スーパーではなくてタバコ屋さんらしい。スーパーで「切手が買えるか」と聞くと、英語の話せる客が丁寧に教えてくれた。

「切手ならタバコ屋で買えるよ。ちょっと先にあるけど、そこは今日休みだったから、さらにこの道をまっすぐ行けばある。タバコって書いてあるから、すぐわかるはずだよ」

 黒い天然パーマに黒い眼鏡をかけた、肌の白い男の人だった。どこの国の人だか、見ただけでは全然分からない。英語がかなりうまいので、スペイン人ではない気がした。

「ちょうどそっちに行くから、ついて行ってあげるよ」

 そう言われて、一緒に店を出て歩き出す。バルセロナに住んでいるのか?いや、三ヶ月の滞在でアート制作してる。ちょうど個展が始まってるから、もしよければ遊びにきてほしい。そんな会話を交わす。

「三ヶ月もバルセロナにいて、言葉も通じないから、困ることとかなかった?」
「意外と大丈夫。なんだろ、たぶん最初からあきらめてるんだろうね。通じない前提というか」
「あはは、なるほどね。アートについてはどう?いい成果があった?」

 私は、個展の様子や自分が主宰しているアートプロジェクトについて説明する。いろんな国の人に絵を描いてもらい、それをつなげて大きくする。バルセロナの人たちにも参加してもらっていて、今月は友達の助けでウガンダの子どもたちにも描いてもらう。四月には私がロシアに行くから、ロシアの人たちにも参加してもらえるといい。そしてできれば、六月にスリランカに行きたいと。

「それってチャリティ?」
「うーん、作品でもあり、社会貢献でもあり、チャリティって言われればそうでもある。でもさ、純粋にすっごく大きな絵をいろんな国の人と作れたらさ、楽しくない?天井覆い尽くすほど、絵でぎっしりなんだよ。それで床を鏡にして空が床にも映ってるようにするの。いろんな色でいっぱいになるよ、楽しくない?」
「それは楽しそうだね。でもチャリティだとするなら、自分はチャリティが大っ嫌いでさ」

 Hate(ヘイト)。彼はそう言った。

「ポルケ?(=Why)なんでチャリティが嫌いなの?」
「あふれ過ぎてるからだよ。チャリティ、チャリティって。疲れない?あっちにも支援、こっちにも支援。そんなにやってられないよ。自分だって一生懸命生きてるわけだし。そういうんだったら、そこらへんに座ってるホームレスと変わらなくないかな?」

 彼は、ちょうど近くに座っていた老女のほうを軽く指さす。

「一日中座って、コップ持ってるだけさ。いい仕事だろ。やりたいことがあるなら、自分で稼げばいい。そう思わないか?チャリティなんてバカバカしいよ」

 その通りだ。もし、稼ぐ時間も使って活動ができたら、もっとできることは増えるかもしれない。ただ、その活動が本当に誰かの役に立つなど、どうして言えるだろう。

「・・・そう思ってたんだけどね、五年前前では、本気で」

 彼はそう言って一度言葉を切る。それからまた話し始めた。彼自身のお母さんの話だ。彼のお母さんは、五年前に脳の病気で急に倒れたらしい。手術の後、身体の半分が動かなくなったそうだ。

「大変だったよ。父はもういないし、僕と、母だけだった。仕事をしながら介護をする日々だった。丸二年続いてね、もううんざりだった。母も、そんな僕の気持ちに気づいていて、毎日すまなそうに、謝ってばかりだったよ」

 私はうなずく。そうしているうちに、目的のタバコ屋さんに着いてしまったが、そのまま店の前で話し込む。

「ある時、もう食事もまともに取れなくて、本当に疲れ切った時に、家のドアの前で座ってたんだ。このドアを開けたら、また母の世話をしないといけない。疲れて、本当に疲れ切ってて、それでドアの前で動けないでいた。その時に、隣の家の人が帰ってきて、声をかけてくれた。一人暮らしのおばあちゃんだよ。僕は、彼女にすがったんだ。今日だけでいいから、うちでご飯を作って、母に食べさせてくれないかって」

 私は彼の横で、静かに話を聞いていた。その時の苦労が、言葉からにじみ出るようだ。

「彼女は快く引き受けてくれた。それで、僕の分もあったかいご飯を作ってくれたよ。材料費を出すって言ったけど、彼女は受け取らなかった。それから毎日、僕のうちでご飯を作ってくれて、掃除までしてくれた。何より、話し相手ができて、母が喜んだ。僕が辛かった分、母も辛かったんだろう。言えなかったんだ、ずっと。

 ある時、家に帰ると家にいっぱいお客さんがいた。隣のおばあちゃんの友達だよ。近所に住んでるんだっていう。みんなで交代交代で世話をしてくれるって言うんだ。だから、安心して働くといいって。みんなを雇うほどのお金はないし、申し訳なくて受けられなかった。でも、彼女たちは必要ないって言ってくれた。僕と母の食費だけ出せばいいって。彼女たちのおかげで、僕も美味しいごはんが食べられるようになって、余裕ができてきたんだ。

 母の具合が悪くなってきたとき、母はパーティをやりたいって言い出した。みんなを呼んで、さよならパーティをしたいって。母は最期にワインをいっぱい飲んで、ステーキを食べて、ケーキを食べて。クリスマスみたいな三角の帽子をかぶって。それでみんなで笑いあった。途中でなんかさ、壁に落書きとか始まっちゃって。意味わかんないだろ?『もういいから、なんでもやっちゃいなさい』って。顔にいっぱい落書きされてさ。パーティが終わって、散らかった部屋で母は言ったよ。『楽しかった。人生で一番楽しかった。あなたが、今日まで私を生かしてくれたおかげよ』って。それから数日して、母は亡くなったよ。すごくいい顔だった。満足して、やり切った感じだった」

 私はうまく言葉が選べず、うなずくだけだった。

「助けてほしいって言えなかったんだね、ずっと。自分でやればいいって思ってたからだ。できないのは努力が足りないからだって。でも、どうしようもない時もあるんだよね。彼女たちには今も感謝していて、定期的に食事会をやってるよ。僕は結婚して、子どもができたんだけど、子どもの面倒を彼女たちが見に来てくれてる。

 今でも僕は、チャリティはあんまり好きじゃないんだけど、身近な人の助けになりたいっていう気持ちはすごく分かるよ。自分が助けてもらったからね。だから僕は、世界の誰かを助けるチャリティより、身近な人の力になれることをしたいかな」

「いいね、それは素晴らしいことだと思う。私は、世界の誰かが『誰か』じゃなくなるように、顔が見える存在になるように、やれることをする」

 Good Luck!という言葉を残して、彼は去っていった。『世界』が、『世界』というまとまった塊でなく、人の集合体であることを実感するには、果たして何をすればよいのだろう。私はそんなことを考える。

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これまでのお話はこちらから読めます。
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