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家族の中で上位概念について話し合う『言葉のズレと共感幻想』

こんな本を読みました。ので、今日も本を読んで興味深かったところと、なんでそう思ったのかをまとめていきます。

「常に上位目的がそろっているかを話し合う」

最初におもしろいと感じたのはこちら。学校の先生同士の上位目的は何か?と話し合っていることを参考に、家族では?会社では?と問いを深めていくようです。家族で「家族の上位目的」を話し合うって、どのくらいやってるところあるんだろう?少なくともうちは全然でした。

何かのプロジェクトを始める際に、売り上げが目標なのか、魅せる展示にこだわるのか、など上位目的がそろっていると、参加する人たちの動きも自然と統一されてきそうですね。勉強になりました。

作家といい信頼関係が築けて、わからないところを徹底的になくすと、なんとその作品がヒットする。人は自分で意味がわからないまま文章を書くことが往々にしてある。

分からないことを徹底的になくすとヒットするっておもしろいですね!世界には「分からない」作品が多くて、そもそも「意味が分からない」ことが、離脱率につながっているのかもしれないと考えました。意味が分かるだけで、そもそも読まれるようになる。読んでいると、どこかに気づきがあって、それがある程度のヒットにつながるのかも。

TwitterはじめSNSは文法のレベルの構造などを考えなくていい世界なので、解釈の自由度が少なくなる分、実は誤解が少なくなって、世界も小さくなるんじゃないか。

これは分からなかったんですが、短い文章の方が、受け入れる解釈幅が広がって、誤解の許容値が広がるのかな、と自分は解釈しました。「短くしか書けない」とお互い分かっていれば、その範囲内で自分の都合のいいように解釈しやすいっていう理解だよ。

昔のコミュニティは「安全」を買うコミュニティだった。「安心」を買うのが今のコミュニティ。今は安全・安心を求めている。

安全・安心な空間に守られているからこそ、挑戦ができるんだよね。挑戦しかない状態だと、気持ちが何も休まらないので、すぐに倒れてしまいそう。

コミュニティにおいては特に、「同じ話を違う人に繰り返し話す」ことの効用がある。コミュニティ掲示板が整理されておらず、新人にわかりにくくて、そのためにいちいち誰かが説明することで、話し合いが生まれ、会話量が増えるのがいいコミュニティなんじゃないか。

新人が毎回同じことを聞き、それに毎回答える人がいてもいいし、それも大事な役割だし出番なのではないか。

この間の本で、会話量を増やすために長文禁止にしているコミュニティがあるっていう話を聞いたけども、同じことを何度でも説明してくれる人がいる、何度でも質問していい、っていうのは、コミュニティ内の安心感につながっていそう。

コミュニティとプロジェクトを実行するチーム、っていうのは、目指していることが違うんだろうな。コミュニティはもっと内向きの視点。プロジェクトはもっと外向きの視点、とか。

ソクラテスもキリストもブッダも、概念の中心になる人は、教祖が自分で経典を残したわけではなく、それを聞いた弟子たちがその思いをあとから形に残している。他者が解釈したものが中心にあるから、それを再解釈する動きも許容されていて、活動が定期的に活発になる。自分で著作を残したり、発言している人は、他人が動きづらいから残らない。働く人が残らないのも、そこで完結してしまうから。時代を超えない。

他者の解釈を許容することが、時代を超えるきっかけになるっていうのもおもしろいね。今、ブッダが残っている概念を知ったら、なんて言うんだろう。OK~って言いそうな気もするけど。許容する範囲の広さが、時代を超えるっていうことかもしれない。

そんな感じでした、よければみなさんも読んでみてください!

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