オランダの空港で聞いた「相手が常にポジティブな状態なんだって信じる」という話

 タンザニアから帰国する際の乗り継ぎは、オランダの空港だった。乗り換えまで六時間くらいあったが、五週間の取材旅行で疲れ切っていて、大荷物を抱えて町を歩く気力もなかったので、空港で時間をつぶすことにした。ただ待っているだけだと、六時間は長い。眠ろうとするにも、荷物が心配で眠れない。「Tired, tired」なんとなく口に出していた言葉を、聞きつけた人がいたようだ。

「Hello, どうしたの。旅の帰り?」

 リュックを身体の前に抱えたまま顔を上げると、大きめのバックパックを抱えた三人の女性が立っていた。ジーンズに長袖のロングTシャツを着ている。

「ああ、はい。タンザニアからの帰りで」
「あら、そうなの、私たちはこれからケニアに行くのよ」

 どこから来たのかと聞くと、カナダからだという。三人でサファリツアーに参加する予定だそうだ。

「かなり乾燥するって聞いたけど、どう?」
「乾燥してましたねー。あとは砂がすごかったです。窓を開けてると車の中に砂が積もるんですよ」
「わー、そうなのー」

 彼女たちは、私の前に座って話を聞きたがる。私は旅の疲れで風邪をひきかけていて、体調も悪かったので、少し面倒に感じる。普段なら、こういう交流はすごく好きなほうなのだが。次々とされる質問に答えていたけど、さすがに疲れたので途中で話をさえぎる。

「ごめんなさい、私、ちょっと風邪気味で疲れていて。少しこのまま眠りたいんだけど、いいかな?」

 彼女たちは、『もちろん、ごめんなさい、See you!』と言って席を立つ。乗り換えまでまだ時間があると言ってたから、しばらくはこの辺にいるのだろう。私はリュックを抱えたまま、椅子に横になって眠る。どのくらい時間が経ったのか。たぶん、それほど長い時間ではなかったと思うけど、また、声をかけられた。

「ハロー!」

 さっきの女性たちの一人だ。オレンジジュースを手に持っている。

「もしよければ、これ」

 そう言って、私にオレンジジュースを差し出す。私はびっくりして起き上がり、彼女の顔を正面から見る。栗色の天然パーマを頭の後ろでまとめている。目じりにしわがあって、頬には茶色いしみ。

「気を使わせてすみません、そこまですごく具合悪いわけでもないので」

 断ろうとしたが、彼女が私に向けた笑顔が素敵だったので、私はお礼を言って受け取る。すぐ缶を開けて飲む。オレンジジュースは、美味しかった。

「ありがとう、おいしいです」
「疲れた時はそう言っていいの。私だって飲み過ぎた日の翌日は起き上がりたくないし、ごはんだって作りたくない。主人によくそう言ってるわ」

 私はオレンジジュースを一気に飲み干す。自分で思っていた以上にのどが渇いていたらしい。

「おいしい。はー、おいしい」

 彼女は飲み切った缶を渡すようにと手を出す。私はその仕草に甘えて缶を預ける。さっき、ちょっと嫌な感情を彼女たちに抱いてしまったことを、心の底で後悔していた。

「本当にどうもありがとう。まさか、戻ってきてくれるなんて」
「ふふふ、いいの。私ね、決めてることがあるの」
「決めてる?なんですか?」

 彼女は立ちあがって私を見る。

「誰かのネガティブな気持ちを、私で終わらせるっていうこと。『疲れた』『がっかりした』『何もやる気にならない』『面倒』他にもいろんなネガティブな感情があると思うの。それを誰かが出した時にはね、その言葉を信じないこと」
「信じないこと?」
「んー、信じないっていうのは、いい表現じゃないかな。『そうなんだ、疲れたんだ』って返すことはするんだけど、本当に相手が疲れてるって思わないこと。ううん、なんていうかな。人って周りの人のイメージでできているのって、分かるかな?」

 英語が難しくて、私がたまに眉をひそめるので、彼女はゆっくり言葉を選びながら確認するように話をする。私はうなずき、有名人などを思い描く。テレビで見ている有名人は、イメージ通りに見える。実際はどうか分からないけれど。

「周りの人のイメージがその人をつくるの。だから、みんなが『この人は疲れてるんだ』って思っちゃうと、その人は本当にそうなっちゃうのよね。相手がネガティブなことを言っても、それを信じないっていうのはそういうこと。『疲れてたの? すごく頑張ったことがあったのね』とか。『疲れ』にフォーカスさせないってこと。ネガティブなことに足をとられないように、ポジティブなことに心を向けさせるってこと。相手が常にポジティブな状態なんだって信じるっていうこと。うまく伝わるかしら?

 ほら、『この人はすごい、よく頑張ってる、なんでもできそう』ってみんなに思われたら、自分は本当にできる気がすることってない?」
「分かります。絶対できる、絶対できるって言われていると、本当にできる気がして、実際にできちゃったり」
「そうそう、そういうやつ。私、昔は本当にネガティブなことばっかり口に出してたのよね。そしたら、今の主人が言ったの『キミはよくそう言ってるけど、本当はできるんじゃない?』って。『今日も全然いいことがない。疲れた疲れた』『そっかそっか、それにしては楽しそうだね』って。彼はいつも、私にそうやって返してくれるの。そのうちにね、私の口からネガティブな言葉は出なくなってきて、本当に毎日が楽しくて、なんでもできるようになってきたの。不思議でしょう?」
「素敵なご主人ですね」

 彼女のネガティブな気持ちは、きっと旦那さんが終わらせてくれてたんだろう。私はそう思った。

「そろそろ時間だから、私はもう行くわ」

 立ち去りかける彼女に、私は腰を浮かして追いかけるように言う。

「本当にありがとう。人と話す楽しさを、あなたのおかげで思い出せました。あなたと話せてよかった」

 彼女は手を振ってから、小走りで通路の向こうに去っていく。私はもう一度、リュックを抱えて横になりながら、彼女の言葉を思い出していた。

『相手が常にポジティブな状態なんだって信じるっていうこと』
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