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「人生で幸福を感じたのはどんな時?」バルセロナのグエル公園で聞かれたこと。

 青や赤や黄色の鮮明な色のモザイクの壁で囲まれた公園を、私は歩いていた。ガウディの「グエル公園」は、スペインのバルセロナにある。スリが多いと聞いて、ビビリな私はタンザニアで買ったシマシマの袋に少しのお金を入れ、首から下げて服の中に入れて歩いていた。スペイン語がまったく話せないので、歩いていても聞こえるのは「音」だけ。

 言葉を失ってしまいたいと思っていたから、一人でここに来られてよかったと思う。岩を積み上げた柱は、何万年も昔、私が虫だった時に見たことがあるような懐かしい光景。

 白い階段のところに白髪を真っ青に染めた老人が座っていた。「Hello」と言うと、彼は目を細めて「Hi」と返す。老人の髪の青さと目じりのシワの曲線に惹かれて、私は隣を指さす。老人は軽くうなずき、手のひらで階段を示す。

 隣に座ったものの、スペイン語は話せないし、かける言葉が浮かばない。黙っていると、老人は英語で言う。

「キミの人生について聞かせてほしいな。幸福だなって思うのはどんな時?」

 弾けた綿花みたいな声だった。私は視線を左右に振りながら思い出そうとする。幸福だった時のこと。たくさんあったはずなのに、うまく思い出せない。孤独が体中に充満していて、そういう時は海の底にいるように、静かに光を待つ。この時の私は、そういう状態だった。

「欲しいものは何かある?」
「話を聞いてくれる誰か。話をしてくれる誰か」
「もし、それがあったら、どんな話をする?」
「今日、公園に来たこと。青いトカゲがいたこと。そういうただの出来事を、ただ聞いてくれる人。おもしろくしたり、傷つけないようにしたり、役に立つように考えたり、そういうの全部考えなくてもいいように、ただ話したい」
「ぼくが聞いてるから、話したいことを好きなだけ話していいよ」
「ううん、それはやなの。あなたが楽しいって思ってくれることを話したいの。私と話ができてよかったって思ってもらいたいの」
「ぼくはここで、キミと話ができてよかったって思ってるよ」
「ほんとに?ほんとにそうなの?気を使って言ってない?本当にそう思ってる?お世辞じゃなくて、私は本当に、あなたにそう思ってもらいたいの」

 ほんとだよ、って言った後、老人はポケットから赤い丸いものを出した。老人はそれを鼻につける。真っ青な髪に、真っ赤な鼻でピエロみたいだった。

「じゃあ、ぼくの話を聞いてくれる?ぼくはね、昔、精神病院に入院してたんだ。三回くらい自殺しようとしたんだよ。それでね、退院するときにね、ぼくは『悪い日は一日もない』って決めたんだ」
「一日もないってどういうこと?」
「たとえばね、ぼくの今日は、キミに会えたことで最高にハッピーなんだよ。昨日は目玉焼きがすごくキレイに焼けた。その前の日は雲の形がウサギの顔みたいだったよ」

 老人は頭に両手を当て、ウサギの長い耳みたいにパタパタさせてみせた。その顔は本当にうれしそうに見えて、私は彼が楽しんでいることを信じてもいいように感じた。

「今はね、病院でクラウン(ピエロ)をやってるんだ」

 それから老人はアメイジング・グレイスを歌いながら身体を揺らす。一緒に歌わないといけない気がして、視線をそらす。私は歌うのが好きじゃないから。老人は歌うのをやめて、私に質問する。

「キミは何をしてるの?」
「私も、病院でアートをしてます。他にもいろいろ」
「いいね、どんなことをしてるの?」
「ぬり絵をするんです。そのあと、みんなの絵をくっつけると一枚になるっていうのをやってて。きっと、自分がさみしがりだから、誰かとつながっていたいのかも」
「それは本当に素敵だね」
「でもね、私が歌うのが好きじゃないように、きっと絵が好きじゃない人もいると思うの。そういう時にどうしようって思うんです。他にも、たくさんの人が参加した時に、全員とちゃんと話せない時とか。たとえば病院で、患者さんがいっぺんに十人とかいた時、あなたならどうしますか?」
「いろんなやり方があるからね。自分のやり方で、クリエイティブにやればいいんだよ。ぼくはね、いつもその病院の中で一番大変な人と話すようにしているよ」
「その人とだけ?」
「うん」
「その人に喜んでもらうことを考えてるの?」
「ううん、ぼくはその人を喜ばせたいって思ってるわけじゃないんだ。自分が楽しんでいること、ここに来られてうれしいことを伝えるんだ」

 私は眉毛にしわが入るくらい力を込め、それから老人の赤い鼻を左手でつまんだ。

「どうやったら人と上手に話せるんだろう。うまく伝わらない時はどうしたらいいんだろう。もっと上手に話したいの。話せてよかったって思ってもらいたいの」

 老人は身体を左右にゆすって言った。

「どうしたらいいんだろうね? ぼくは、ひたすら話すってことをしたよ」
「ひたすら話す?」
「電話帳を開いてね、上から順に片っ端からかけるんだ。出た人と話せるだけ話す」
「ええー、怖い。嫌がられたりしない?」
「するよー」
「えええ…」
「宗教の勧誘だって思われたりね」
「それだけたくさんの、知らない人と話して、なんかわかったことってある?」
「あるよ! ぼくは人が大好きだってこと」

 そうして彼はまた、アメイジング・グレイスを歌う。私は、つかんでいた鼻から手を離す。自分が歌わなくてもいいことが分かったから、今回はただ、彼が歌うのを聞く。

「LOVEは動詞だろう。だからね、行動することが大事なんだよ。うまく話せないなら、話さなくてもいいのかもしれないよ。キミには、キミにしかできない伝え方ができるんだ。自分にしかできないやり方で、クリエイティブに、だよ!死ぬ瞬間まで生きているんだから、やれることをやるんだ」

 何をしよう、何をしたらいいんだろう。顔を上げると、バルセロナの青い空が脳内に映り込むのを感じる。さっきまで聞こえなかった笑い声が、「音」の中に混ざっているのに気づく。

「キミが幸福だなって思うのはどんな時?」

 最初にうまく答えられなかった問いを、クラウンはもう一度私に聞く。

「私がしたこと、作ったもの、言ったことで、誰かが本当に、本心で、うれしい、よかったって思ってくれた時。だから、人を喜ばせることがしたい。それでね、相手の本当の気持ちがちゃんと分かるようになりたい」

 私がそういうと、真っ青な髪のクラウンは言った。

「素敵だね。それは本当に素晴らしいことだよ! じゃあまずは、誰の気持ちが分かるようになりたい?」

 私は左右に視線を泳がせる。それは私が脳内を全検索している時のサインだ。

「誰か一人を選ぶなら、誰を喜ばせようか?」

 青い髪が光を浴びて光っていて、ドラえもんの色みたいだ。
 クラウンの細くなった目を見ながら、私はそう思った。

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