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「信念は自分を守ってくれる鎧だけど、脱いだら軽いこともあるよ」の話

※20話に達してないのに20話分の有料noteまとめを買ってくださる方への感謝を込めて。遅くてごめんなさい、とてもとても感謝しています!

 家とアトリエを往復する日が数日つづいた後、コレクターさんから連絡をもらい、私はまた老人の自宅を訪れることになった。デンマークコペンハーゲンの中心地にあるアートコレクターさんの家には、部屋中に小さなアート作品が飾られている。

「やあ、すまないね。この間来てくれたばかりなのに」
「いえ、嬉しいです、また呼んでいただけて」
 正直に言うと、私もまたここに来たくて仕方なかったから、声をかけてもらえた方がありがたいと思っていた。
「先に部屋に入っていてくれるかな。飲み物を用意するよ。コーヒーがいい? それともジンジャーエールがいいかな?」
「ジンジャーエールで」
「オーケー」
 奥のリビングに入ると、オレンジ色の髪をした女の子が両手を膝の上に揃えて、ソファに座っていた。

「ハロー」
 私は彼女に挨拶を返して隣の椅子に座る。
「日本から来たアーティストさん?」
「はい。あなたもアーティストですか?」
 私がそう聞くと、彼女は言葉を濁す。私は深くは聞かずにコレクターさんを待った。トレーにジンジャーエールとコーヒーを二杯乗せて、老人が部屋に入ってきた。

「エルセのは、ちょっと薄くしてるから」
 老人は彼女の前にコーヒーを置き、前と同じ席に座った。私はお礼を言いながら、ジンジャーエールのグラスを取る。
「エルセはアーティストなんだけどね、やめようかと考えているところなんだ。そこで君の意見も聞かせてもらいたいと思って」
 老人はいつものようにコーヒーの匂いを嗅ぎながら言う。アート作品のたくさん飾られた部屋では、時間の合っていない時計が時を刻む音が響いていた。
「なぜやめようと思ってるんですか?」
「窮屈だから」
 エルセは私を見ずに、コーヒーを覗き込みながら言う。
「どうして窮屈だと?」
「いっぱい、いろんなことを言わなくちゃいけないから。ただ描いているだけでいろいろ言われるし、そういうのに疲れたの」
 好きなものが描いていられれば、売れなくていいのだとエルセは言う。
「なるほど。それならそれでいいんじゃないでしょうか」
 創作を強制することはできない。誰にも見せずに自分のために創りたいというなら、それでも十分じゃないだろうか。

「しかし、生活もしなければならない。それで悩んでいるんだよね」
 デンマークでは成人したら家を出て自立するのが普通だ。実家に長く居続けることはできない。エルセは友人の家のリビングに住まわせてもらっていたが、絵が売れないと生活費が払えないのだ。
「絵をやめて、なんでも仕事を探すから。それでいいの。アートはもう嫌。アートだとかアートじゃないとか、売れるとか売れないとか、そういうの全部、煩わしい」
 彼女は誰かの言葉を必要としていないみたいに、周りの空気を固めて身を守る。絵をやめたいなんて思ってないのだ。私はそう感じた。老人のほうに目をやると、視線が合う。彼女は自分でやめると言ってしまったために、引っ込みがつかなくなってしまった。プライドを守るために本当に絵をやめてしまうだろう。彼女を引き止めたくて、老人は私をここに呼んだんだ。

 老人の意図は分かった。しかし、初めて彼女に会う私に何ができるだろう。私は彼女がどんな絵を描いていたのかを聞く。彼女は口をつぐんだまま動かなかったが、老人がデンマーク語で何かを言い添えたので、スマホからインスタグラムを開いて作品を私に見せてくれた。
「うわっ、すごい、すてき」
 水彩画で描かれた色鮮やかな世界がそこにあった。円の上に散りばめられた動物たちと層になったカラフルな線が明るい世界をつくっている。長く描き続けているのだろう。インスタはスクロールしても次々と出てくるほど、いろんな作品でいっぱいだった。
 すごい、すごいと言って彼女の作品を見ながら、彼女が絵をやめることはないだろうと私は確信した。ただ今はちょっと、不安定になっているだけなんじゃないか。
「アートじゃなくても、好きに描き続けられたらいいね」
「うん。勝手にやる。もうアートとか言われなくていい。だって、世界で売れてるアートってすごく素敵なわけじゃなくない? こんなのが高額で売れてるなんてって思うこといっぱいある。過激なことをやればアートって思われるなら、アートじゃなくていいもの」
 彼女はアートに対してすごく不信感を抱いていて、それはなかなか離れそうもない。

「エルセ、君が信じることは君自身を守ってくれている、とても大切なものだ」
 老人の言葉に、エルセは顔を上げる。スマホを私に預けたまま、彼女はソファに座り直した。

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