フィンランドの美術館の前で聞いた「節約がつくる悪い習慣」の話

 三月の半ばから、フィンランドの西の町トゥルクでのアーティスト・イン・レジデンスに参加している。私は所属先の美術館まで借りていたハンマーと釘を返しにきた。家から乗ってきた自転車は中古の、しかも子ども用の自転車だ。大人用を試して座席が高すぎて乗りにくかったのもあるけど、子ども用を買った大きな理由は金額だった。子ども用は三十五ユーロ。大人用は安くても八十ユーロからだ。三ヶ月しか乗らないから、なるべく安いもので済ませたかった。
 買った自転車は座席が固くて、最初のうちは乗るたびにおしりが痛くてしょうがなかったけど、それにも慣れた。前輪ブレーキはもともと効かないけれど、後ろ向きにこぐことで後輪ブレーキがかかる。足でかけるブレーキにも今は慣れてきた。

 美術館の前の自転車置き場に自転車を入れ、チェーンをかける。平和でのどかな町だと思っていたけど、自転車の盗難はけっこうあるらしい。子ども用でブレーキが壊れている自転車が盗られるとはとても思えなかったけど、何度も買い直すことはしたくないから、細いチェーンを買ってかけるようにしていた。

 鍵をかけ終えると、ちょうど美術館から出てきた男性と目が合う。淡い色の髪に薄い緑のダウンジャケット、キャノンの一眼レフカメラを首から下げている。観光客だろうか。男性は私に話しかけて来るけど、フィンランド語だから全く分からない。私がハローと返すと、彼は英語で言い直す。

「ずいぶん小さい自転車に乗っているね」
「そうですね、でもこっちの大人用のは高すぎるから」
「それにしても小さすぎだよ。お店に行けばちょうどいいのが見つかるんじゃないかな」
「うーん、でも数ヶ月だけだからなぁ」

 私はレジデンスアーティストとして六月までの滞在なことを話した。

「中古のお店知ってる?そこなら安く手に入ると思うよ」
「キートス(フィンランド語で「ありがとう」)。これも中古屋さんで買ったんですよ。三十五ユーロだった。大人用のはその倍以上でしたよー」
「倍でも大した金額じゃないよ。三ヶ月もあるなら、快適に使えるののほうがよかったんじゃない?」

 確かに、今の自転車は座席も固いし、ブレーキも効かない。それでも市内とスタジオのあるアパートを往復するには十分だと私は思っていた。彼は薄く髭の生えた頬に右手を当てて言う。

「節約?」
「そうそう、そうです」
「うーん、まぁこれは僕の考えだけど、僕は節約っていう考えがあんまり好きじゃなくてね」

 私は自転車の座席に手をかけ、彼の言葉に耳を傾ける。

「好きじゃない?なぜですか?」
「自分のことしか考えていないからだよ」

 彼は頬に当てた右手を顎に移しながら言う。

「いいかい。もしもキミがいい自転車を買ったとしよう。キミは快適に過ごせる。同時に、自転車やさんにもお金が入る。みんなハッピーだ。いい自転車を買うっていうことは、キミはいい自転車を買えるだけ稼いでないといけないってことだ。稼ぐっていうのは、お金をもらう、あるいはなんかの対価をもらうってことだけど、それは人を喜ばせないとできないことだろう?だから、いい自転車を買うために人を喜ばせて、自分自身も快適に自転車に乗ることで、自転車を売ってる人も喜ぶ。ほら、いい循環だろう?

 じゃあ、節約した時はどうだろう?キミは小さい自転車を一生懸命こいで暮らして、自転車やさんもあまり儲からない。自分が我慢する代わりに、誰かを喜ばせて対価を得る必要もない、つまり誰も喜ばないってことだ」

 私はうなずく。そうだ、お金が流れているというのは、喜びが流れているのにも等しい。

「節約にはいい節約と悪い節約があるんだ。うーん、もっと言うなら、みんなが喜ぶ節約と、自分のためだけの節約かな。たとえば、ゴミを出さないようにしようと思ってスーパーでビニール袋を買わないとしたら、誰かのことを考えた節約だろう。もしも節約しようっていう考えが自分の中に生まれたら、自分のことを考えたものか、誰かのことを考えたものか、一度考えてみるといいよ。自分が少しでも得したい、自分のお金を減らしたくない、損したくない。そういう思いがないかって。そういう考えグセって習慣になるから。自分のことだけ、自分が幸せになればいい。ささいなことだけど、そういうのって普段の行動、言葉、態度に出ちゃうんだよ。自分ではその時だけのつもりでも」

 そう言われて、私は普段の自分の買い物の仕方を思い出す。お肉は割引になってるものをよく買うし、砂糖や油なんかの調味料も安いものを選んで買ってる。そういう時、誰かに食べさせるわけでもなく、自分で使うものだからいいやって思ってる。それっぽい味がすれば安いのでいいやって。

「節約するのはいいんだ。そういう時に誰のことを考えているか、たとえば自分が買わなかったら捨てられちゃうかも、それは気の毒だって思うなら、少なくとも誰かのことを考えているだろう。自分がどうして節約したいって思ってるのか、自分の心に聞いてみるのも悪くないよ、だってさ」

 私はうなずく。確かに節約を考えすぎて、周りの人に気を使わせたこともこれまでに何度もあった。

「自分だけが幸せになりたいっていう人に、幸せを分けたいなんて誰も思わないだろう?」

 彼はそう言うと、優しく笑った後に「うるさいこと言ってごめんね」そう言って去って行った。

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