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コロナ倒産した僕が、破産を決意した日のこと【1話】

 2020年3月25日に事業ストップ、4月6日に東京地方裁判所に破産申告書を提出して、4月10日に受理された。後で聞いたことだけど、僕の会社は都内で6件目のコロナ倒産企業らしい。申告が受理されて破産のための手続きが開始された時、やっとこれで終わりだと感じた。長かったなぁ。

 いや、一時間が永遠に終わらないんじゃないかって思えるくらい長く感じたこともあったし、何もできてないのにあっという間に時間が過ぎていくような無力さと焦りを感じたこともあった。

 僕の会社はタイに工場があるゴム風船屋だ。じいちゃんの代から3代目になる家業で、ピークは2代目の父の時だった。じいちゃんが開発した水玉風船と呼ばれる水風船は、子どもたちが競って遊びあい、大人気の商品となった。僕も友達と一緒にゴム風船をぶつけ合って戦った。水浸しになって、大人たちに怒られまくって。でもひたすら楽しかったこの頃は、僕にとって大切な思い出だ。

 僕は11年前に父の病気がきっかけで家業を継ぐことになった。少子化の影響もあって子ども向けのおもちゃが日本では売れなくなってきていて、父の頃のような風船バブルは国内では弾けてしまっていた。僕は国内よりも海外に風船の需要を求め、タイやフィリピンを奔走してきた。

 倒産のことが頭をよぎったのは2019年10月。2014年からフィリピンに会社を興すために動いていて、それがやっと目途が立ちそうだって喜んでいたタイミングだった。フィリピンで外資系企業を興す場合は、日本円でだいたい2000万円くらいの資金が必要になる。このお金を最後の最後で用意しきれず、最終的にやめるという決断をした。

 決める前に僕は一人、水玉風船を道に投げた。思い出の水玉風船が、もしも割れないでいてくれたら、もう少し頑張ろうかと思ってた。やさしく投げた風船はすぐには割れなくて地面を跳ねながら転がって、たまたま道路にあったなんかの破片に刺さってあっさり割れた。

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 大好きだったのに、お前を活かすためにがんばってたのに、なんだよ。僕は割れたゴム風船の破片を集めながら、ちょっとだけ泣いた。本当は別れたくないって思ってるのにさ、おまえほんと、なんなんだよ。でもあとで考えたら、風船が僕に向かって「もういいよ」って言ってくれたような気もした。ぜんぶ僕のこじつけに過ぎないんだけど。

 ずっとプレッシャーを感じていたことだから、やめると決めた後には気持ちがすっきりした。だけどこの5年くらい、現地を行き来しながら動いていたことを最後まで挑戦しきれなかったことは、心にずっと引っかかったままでいる。フィリピンにはパーティで風船を使う文化があって、風船と一緒に人の笑顔が膨らむ機会がいっぱいあったんだ。

 子供の頃の僕は、友達と一緒にバカみたいに風船で遊んでた。風船を通じて家族や友だちが笑顔になれる場が最高に好きだった。だって、風船が飛んでたらさ、みんな空を見上げたくなるだろう。そんで「あー、風船だー」って指さして思わず笑顔になっちゃうだろう。風船ってもともとそういうやつなんだよ。

 2019年12月にさまざまな問題を抱えていたタイの工場と話し合いを行い、倒産が決定的になったのは2020年3月頭。コロナが直撃して毎年受けてた大きな仕事が丸ごとなくなったのも痛かった。僕はどこかで、まだ浮かび上がれるから大丈夫って期待してたのかもしれない。

 いろいろな方にご迷惑をおかけすることになってしまったし、今日までたくさんの言葉をいただいた。破産申告が受理された後、いくつかのメディアから取材の申し込みもきたけど、ご迷惑をおかけする方がいる中、いろんなことを憶測で語られるのがイヤで全部断ってきた。風船なんて終わって当然の産業だって思われるのもイヤだった。だって僕は、たくさんの夢を風船と一緒に膨らませてきたから。

 2020年9月現在、企業の倒産件数は前年と比べて極端に下がっていた月もある。補助金が入ったことに加え、三密を避けるために裁判所が破産申告を受け付ける数を絞っていたという話を聞いた。今、ギリギリの状況で決断しきれずに、苦しい想いをしている人はいっぱいいるんじゃないかと思う。

 倒産を決断したとして、その後どう生きたらいいのって毎日不安になっちゃう人もいるんじゃないかな。僕だってそうです。でも、どん底にいるなら後は上がるしかないから。膨らむって決めたら、ちゃんと浮かび上がれる。風船と同じだよ。

 手元に売れる風船はなくなっちゃったけど、今度は僕自身が風船みたいな存在になって、いるだけで人の気持ちをふわふわにできるような存在になったらいいなって思っています。

 このお話が、今を生きるあなたの心の重荷を少しでも軽くできたら、こんなに嬉しいことはないです。

 コロナ倒産したコロナ父さんより

コロナ父さん

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コロナ倒産した僕が、新規市場を求めてフィリピンに行った時のこと【2話】はこちら。

この物語は連載形式でつづいていくので、ぜひマガジンをフォローしていただけると嬉しいです。

このお話は、実在するゴム風船屋さんからお話を伺い、小説風に読みやすく脚色した物語です。

コロナ父さんご本人のnoteはこちらです。
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コロナ父さんは「みじんことオーマ」がずっとお世話になっていた方であり、オーマがアーティストとしてやっていこうとしている初期に、美術館での展示や東京スカイツリーのあるソラマチという商業施設でのワークショップの機会をつくり、なんとかアーティストとしての最初の実績がつくれるように尽力してくださった方です。

お世話になったご恩返しに、風船みたいなキャラクターをプレゼントして「コロナ父さん」ですって言ったら、あははと笑って「この子と一緒にがんばるよ」って言ってくれました。

コロナ倒産した父さんの物語が、誰かの元気を膨らませてくれますように。



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