社会を治療して社会に治療される医療について考える
未来の医療について考えているんですが、一言でいうと「社会治療」ってことじゃないかと考えています。今日はそんなおはなし。
社会治療ってなに?
社会治療は私の造語なのですが、「社会をみんなで治療し、健康な社会から暮らす人たちが治療される」という状態を意味しています。ふだんの生活の工夫、社会療法(生活療法)とはちょっと意味合いが違います。
図解するとこんな感じ。みんなで社会をよくしておくと、社会が自分たちを癒してくれるというイメージです。物理的に暮らす場所的なものもありますが、地理を超えたコミュニティ(自分が構成要員と自覚できるもの)も自分を取り巻く社会の一つです。
ヨーゼフ・ボイスが「社会彫刻」という言葉を生み出しているんですが、社会治療はその発展形になるかなと思っています。「彫刻」の時は私たちは社会に影響を与えるのみだったんですが、「社会治療」はそれが社会からリターンとして戻ってきているイメージです。医療がこれから向かっていく方向ってこれじゃないかなと。
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社会の治療ってどうするの?
自分ができる社会の治療はなにかというと、一番は自分が快適な位置に移動するということだと考えています。社会のシステムって他人の役に立つと自分も儲かるようになってるんですよね。
自分にとって快適な場所にいて、その快適な場所を守るような動きをすること、シンプルに好きじゃないことはやらないことにすること。好きじゃないことをやってる時って、無意識のうちに「やらなくていいように」言い訳してしまうんですよね。それが自分も周り(周辺環境)も小さくしてしまう。だから、自分がちゃんと広がる場所にいくといいと思います。自分が広がる場所にいると、たぶん自分の周りの人もその恩恵に預かれて快適さが増すんですよね。
自分の場合だと、作品発表してる時が一番、自分が広がってる感じがしますね。人へのいい影響も、私自身よりもなんらかの創作物を通じてのほうができるような気がします。うむ、作品をつくりつづけ、発表し続けたい。そういう生活がしたい。そこからこの、医療の新しい形を伝えたい。この概念が浸透したら、個人が個の命を抱えなくていいと思うんですよね。みんなで癒し、みんなで癒される。ドイツで浸透している「社会責任」を社会彫刻と混ぜて発展させた形態です。
社会から治療されるってどういうこと?
社会からの治療は、自分が欲しいものを伝え、受け取ることだと思っています。自分がなにをしたいか、なぜしたいかって発信しないと誰もわからないんですよね。社会に向けて発信しつづけることは、自分に確認しつづけることでもあります。「それがほんとに欲しいんだっけ?」っていう。
これがイエスならきっと発信がつづくし、社会に届いて自分に返ってくるはず。その時、自分が広がるような快適な環境に自分がいた場合は、それがスムーズに返ってきやすい、そんなイメージです。
医療は個人から個人ではなく、個人から社会の中の個人になるんじゃないかな、というおはなしでした。
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