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4月の金曜日「毒にも薬にも」

 なんだか五月みたいだな、というような四月の陽気。日中はジャケットでは暑くて脱いだけれど、朝晩はまだジャケットなしだと肌寒い。それにジャケットというか上着がないとポケットが無くて困る。ズボン(『パンツ』と言うのはギリ微妙に小っ恥ずかしい世代)のポケットだとスマホは大きすぎる。そういえば夏目漱石の小説だとポケットをポッケットと表記していた。スペルを見れば不自然ではないけれど(Pocket≒ポックケット?)、やっぱり違和感。全然関係ないけれど。

 仕事を終えて家に帰ると、僕の部屋の一角に娘からのメッセージが貼られていた。


「ぱぱ いつも ありがとう ❤︎」と書いてあるが、半濁点の「゜」が二個あるのはなんで? ときくと「パパ、でパが2こでしょ? だからマルが2こ!」とのこと。なるほど。再帰的頭字語みたいだ(ちがう)。

 随分前から、トイレはもう一人で行けるのだけれど、昨日は好奇心からか初めてウォシュレットのボタンを押してしまい、びしょ濡れになってしまった。ビックリしたようだけれど、面白かったようで、今朝はこの出来事のことを保育園のおたより帳に書いて欲しいというので、少し迷ったけれど、「本人が書いてほしいというので……」という前置きをした上で書いた。その旨を娘に告げると、「ほんにん(笑)」と語感が気に入ったのか謎にウケていた。ちなみに、このエピソードは先生にもウケたらしい。スベってなくて良かった。

 とまぁ、今日も今日とて、こんな毒にも薬にもならないエピソードを書いている。王木ダイアリーの概要にも記載しているけれど、この日記は毒にも薬にもならない。ただ、だからこそ「毒とか薬とかはちょっと……」という人に読んでもらいたいとも思っている。一番は自分のための記録だけれど。

 寝かしつけのときに、娘が唐突に「あしたのゆうごはんは、マーボーどうふがいい」と言ってきた。

「なんで急に?」
「たべたいから」
「そっか。じゃあ明日の夕飯は麻婆豆腐にしようか」
「うん」
「もしかして、保育園の給食で出た?」
「ほいくえんのおひるごはん?」
「そう」
「きょう、ほいくえんのおひるごはん、マーボーどうふだった」
「ごはんにかけて食べたの?」
「ううん。でもおかわりした」
「そっか」
「ごはんにかけて、スプーンですくってたべたい」
「いいね。そうしよう」

 毒にも薬にもなりやしない。
 でも、こんな会話が、やりとりが、毎日が、たまらなく愛おしい。

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