いつもよく頑張っているねという言葉

23年間会社員生活をして定年まで働くつもりだった私としては亡くなった父方の祖母や現在も役職付きの警察事務をしている実姉の頑張りぶりを耳にする度にまだ働かなくてはならない年齢で不本意な脱落をした生き方に対して情けなく感じる。

私は亡くなった親友に連絡がつくといつもよく頑張っているねと声を掛けられたが離職時の職場は自分のことが精一杯でどうしようもないと嘆いていた。

裏を返せば彼女は障害で就労不能で世間から置いてきぼりにされて情けないという風にも取れたけど、そうなってしまった自分の分も働いて欲しいという遺志を継いだどころかついに彼女と同じ状況になってしまった。

本当に裏切った形になってごめんなさい。

辞めさせられた会社の車が通る度に彼女が言った言葉を掛けたくなるがそんなどころではないと返されるだろう。

というのは、退職する半年前の酒宴で一回り以上年下の相方の後輩曰く、私の雇い止め理由と同じ形で出向解除された50代後半の元出向社員がしていた大量の仕事を全部一人で抱え込んでおり、最悪サービス残業している劣悪な状況である話をされ、いくら身分が守れる正社員でもこの年齢でもきつくて追い付けない現実を知った。

というより、体育会系気質の管理職と上司に無理難題な試練を与えられた時はさすがに限界を感じ、親友に悲しませるようなことはしてはならないという思いで嘆いて反論したことも。

更に無関心であるという反応をされた方にも仲間がこういう状況に置かれていることを共有しようとしない奴らも天国に逝った親友は喜んでいない筈だ。

彼女の声掛けに対して「当たり前だ」という発言をするのは甘えという意味に取れ、今の労働環境に対してはタブーだ。

所謂昭和型は通用しない。

親友は1つの職場で長続きしたことがなく、苦手な分野を克服しなければ置いていかれるという圧迫から潰れていったことが原因で意味不明のメールをかなり受け取ったことがあり、彼女の死で現在の労働問題の課題になったことは間違いはない。

普通の人は支離滅裂で理解できないと言われるかもしれないが、こういった言葉に隠された意味を理解する努力する気はないのか?

私はそれ以上の無理難題を何事がないようにしてこなしていっただけでも無理が利かなくなったので偉そうなことを言うようだが、いくら「働き方改革」という綺麗事で改革しても現状の整備が最優先であり、それで潰れていった人達に対して怠け者呼ばわりされるのはいい迷惑だ。

本当に「頑張ってるね」と声掛けしてもいいのは自身の課題に真剣に考えて行動しているに限るのではないかな?

只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。