新たな人間関係の落とし穴
過去に人間関係が上手くいかずに冴えない表情していた私に、親しげに声をかけてくれた人に対して好意的な対応をし、期待していたら豹変されて人間不信になった経験がかなりあった。
上記三記事は私が絡んだ人間関係でのトラブルであり、それに関わった相手が営利目的で声掛けをしているだけで、私のことをそんなに思っていないと言って、家族に先回りされ、
実際にあったのは数えていないほどだから、私の目で確認しないとわからないと反発をしたものの、案の定家族が言った通りの結末だった。
当時の私は友人関係が皆無であり、飢えていた状態だったので、表面上の甘い言葉に騙されてしまい、慣れてた時点で見極めて簡単に捨てられてしまった。
社交辞令抜きで利害関係が絡まない真の関係を強く望んでいた私は、過去の家族関係や友人関係に悩まされているのをカモにされたことになる。
冒頭ツイートの原理通り、
良好な関係が出来そうであるという錯覚に陥り、長期的な観察をしたら、人を大切にしていない態度が露呈されてしまい、愕然した。
人との「絆」を支えとしている私としては、貼り付けした三記事に登場した人達にとっては心を持たない「金銭」のみの絡みのみであり、優しさに騙されて勝手に失望しただけのことであり、
初めから壁を作って邪険視した方が無難だった。
何度か生死を分ける危機に陥った時に本当に救ってくれたのは、私を普段からキツく対応している家族だけであったことを入院した時に初めて知り、
家族以外の親身にしてくれた第三者が誰もいなかった寂しさと同時に、如何に薄っぺらい人生を歩んでいた自分の愚かさに気づいた。
人脈は心の財産同様であり、公約が守れなくなるとポイ捨て同然で断念してしまう無責任な発言•行為をしてしまうことに対して浪費してしまう様なものであり、
最初から調子良く応じないことを一貫すればリスクが生じないということを理解しているものの、相手が豹変することを恐れて他人に合わせて付き合わないほうが精神的に摩耗しない。
相手からの評価を恐れて員数合わせのために回答すればいいものではなく、
長期的な視点で観察をして、節目にあたる時に切った方が無難であり、その場でアドレスを破棄し、連絡が取れない様にして疎遠にすることは「棚卸し」といい、それを冷静にフィードバックすることによって、本当に思ってくれている家族の関係性が理解出来、評価目的で近寄ってくる人達のポイ捨ての本性が理解出来た。
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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。