本気になれた部活を回顧する②

前回執筆記事を埋め込みましたので併せてご覧ください。

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中学の退部の経緯

1986.4、中3に進級したと同時に両親から

実姉が高校受験を控えて退部したことに合わせて強制的に退部させられた

ことから、引退まで運動会の入場行進等の演奏だけでなく、市内のイベントと #TBS#こども音楽コンクール の地区予選が控えた矢先であり、不可能であると言う対立をした末に、

全て出演不可能になった悲しみが今でも残っている。

大切にしていた音楽をぶち壊された家族を今でも憎んでおり、特に両親は、

中1の時に受けた #ガスライティング という #いじめ の主犯格が2年の時に入部したという話を覚えており、その被害から逃れる為に取らざるを得なかった

と反論した。

上記記事の主犯格のひとりが入部したという話を両親はそのことを覚えており、 #ガスライティングという #いじめ  被害を受けた私とクラスが別になっても、

追跡する形でいじめを受けるということを危惧しつつ、関わらないようにして自分のパートの練習に専念した。

両親が退部させた理由が正当であるならば、

彼女のせいで人生を狂わされた

と恨んでいたと思う。

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その後

私が部活を辞めたことを知った当時のクラスメイト達からその隙を狙って酷いいじめを受けることになり、生活を妨害される事態となった。

その影響で成績がかなり落ち、希望していた高校の内申点が不足して、ランクをかなり下げて学区の #底辺校 を受験する羽目になった。

上記2記事で執筆した類のいじめ被害を受け、特に運動会の結果発表を全校生徒の前でやれという囃し立てによって、

公開処刑の形でさせられたことから人前に出られない

という苦痛を訴え、自信喪失した。

退部してからあまりの恥ずかしさに後輩達と顔を合わせられず、会っても逃げ回る他はなかったものの、

不本意でやらされた苦痛を知ったことから、退部しても挨拶してくれた嬉しさを忘れられない。

音楽以外は何も考えられなかった私としては、

実姉に倣った形でそうしたという空気を読んでいじめの被害に遭わないように都会にある塾に通った。

どこに行っても好奇の目で見られている私としては

いじめの待避場として出ていた部活を辞めなければ酷い被害から逃れられた筈だった

と後悔している。

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実姉の前例

中学時代の実姉は市内の別の中学に通っており、強豪であり、練習が厳しいバドミントン部を途中退部して、厳格な両親の空気を読み、中3に進級しても簡単に辞められる演劇部に移籍した。

その後、現役で文系の大学に進学したものの、同時期に受験した公務員試験の合格者名簿に記載されたという家族しては喜ばしい出来事があったが、本当は大学で学ぶことを継続したかったが、

人生の最終目的は就職することであり、学ぶことは後でもやれる

という苦渋の選択をした。

在りし日の父方の祖母は実の両親のみならず、普通の人が考えられない決断をしたということを褒められたことから、

部活は遊びと同然である

という現実を突きつけられた。

中学・高校と #吹奏楽 部のような毎日練習をしなくてはならない部活を避け、両親の目を気にして簡単に辞められる部を選択されたと考えられ、

何となく部活をし、幽霊部員と似たような感覚である実姉を軽蔑した。

不本意な形による人生の出来事から普通の人と同じ経験ができなかった私は、実姉の過去があったからこそ、人生の成功者と両親に罵られていることから、

実姉も私が出生してから現在に至るまでと同様、普通の人と同じ経験が出来なかった可哀想な人間であるが、どこにもいない優等生タイプ

と称している。

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一度しかない人生を若いうちに楽しもうということは私も同じであり、幼少期から悲惨な経験をしたことから、

不完全燃焼をした中学時代であり、卒業文集に部活のことは載せられないようなことをした

悲しい卒業前の出来事だった。

卒業式に後輩から頂いた寄せ書きの色紙から、私の人望の厚さを語られたメッセージが書かれていた。

心無い同級生に合わせることが苦痛だった私を見てくれた後輩達は本当にいい子であるということを今でも回顧している。


※高校時代も吹奏楽部に再入部したので後日執筆します。







只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。