苦登校経験

表題はひどい #いじめ被害 にあってまともな学校生活を送れないレベルにもなったにも如ず、かなり厳格な両親に無理やり登校させられた経験がある。

具体的にいうと、授業中指名させられて音読中に知的障害者に近い話し方と感じられただけでなく、極度の運動音痴であることを理由に笑われたり、不良達に呼び出されて暴行を受けるなど日常茶飯事だった。

今の子供達はそのレベルになった時点で逃げ出すような形で「 #不登校 」をという選択をするだろう。

うちの場合は社会に出てもこのようなことがあるのは当たり前であり、過酷な環境に適応するするために鍛えさせていると言わんばかりか、雇い止めされた会社で他の部署にいた実父やその後輩達のの脅迫いじめを交えた指導に耐えられずに退職した元部下が会社の裏サイトで書き込みしたことを知り、娘である私も共感した。

実父の方針は現在のような労働環境に耐えられなければ戦力と見做されないのは当たり前であり、理不尽な場面でも何くそ根性でやらなければ生き残れないという。

公立高を志望しており、それで逃げていたら #内申点 に影響するので我慢して登校していたが、音楽が好きな私の場合は幸い吹奏楽部に所属していた分、クラスという狭い空間から逃避出来た。

しかし、部活がない日や退部後狙って帰る方向が逆のクラスメイトから一緒に帰らされたり、するなど生活に支障をきたす被害を受けても次の日も登校しなければならない辛さで保健室登校も考えていたが、養護教諭が実母に連絡すろことを危惧し、授業が終わるまで自席で大人しく座る他はなく、逃げ場所がない苦しみもあった。

不本意ながら入社した初職でも我儘な先輩達の付き合いが苦痛を受けており、逃げるように早退することも考えたが、その理由を家族に聞かれるのが嫌なので我慢したことも。

縁故入社した人間からすると、その程度のトラブルに対応できなければ紹介してくれた実父の泥を塗ることになると家族から言われているので、なかなか辞められない。

初職を退職して雇い止めされた前職でも実際に仕事で使用していた実父作成の入力ソフトの稼働に成功させるために自分を押し殺した反動で上司や同僚たちの理不尽な発言に反論したものの、初職に引き続き片道2時間の通勤によるストレスに耐えられなくなり、精神疾患になってしまった。

処方薬を服用する度に、何故自分欲望に素直に従えなかったという気持ちに対して申し訳なく思い、友人がほぼいないことを自覚して周囲の目を気にしながらいきていたことを後悔している。

メディアでかつての私のような被害にあったら無理して登校しなくてもいいということを周知しているが、そのまま劣悪な環境に放り込まれて対応できなくなるということを危惧している実父と他律することが多く、インターネットがない時代に被害を受けていた私は地獄であり、検索して対応策がヒットしたことを理論武装して返すことが多々ある。

戦前・戦中生まれので貧困で熾烈な生活を強いられてきた両親のと好況期にも如ず、それらしい経験をせずに不況期の社会に出た私の考えのすれ違いは勿論、立場の強い両親に従ってきたことが原因で自立不能となってしまっている生活を強いられてしまったのだと回想しており、未来の若者達や子供達に私のような人生を送らないで欲しいとこの場を借りて伝えたい。


只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。