表現活動の継続に対する心情

私は基本的に一度やると決めたら意地でもやり通す性格である。

過去に長年していた仕事を含め、学生時代にやっていた部活や趣味、新たな挑戦していたことを不本意で家族の命令で不本意な形で断念したことが結構あった。

友人達が希望を持ってやりたいことをやっている姿を見て嫉妬していたのは勿論、幼い頃からかなり厳格かつ貧困に近い生活をしている私がしようとしているのは、時間が許す限りnote を利用して私なりの考えを伝える作業をすることだ。

noteアプリは耳覚えがないのは勿論、過去に使用していた #アメブロ に不具合が多く感じ、一度書いた文章が全て消えてしまうといった悲劇があったために、ネットサーフィンしているうちに辿り着き、書き心地が良かったので切り替えた。

暴力的な家族とやりとりを目の当たりにした私は、家族と同じ業種につくまいと心に決め、自分の気持ちをぶつけて、同じ立場にいる人達と共有した職業を将来的につくことも考えていたぐらいだ。

小学校の頃のクラス替えを節目にした文集作成や授業中の発表で学年中だけでなく家族を含めた近所の父兄達に広まることを危惧して目立たないようにすることばかりを考えていたことを悔いる。

初職の新人時代や前職に入社したばかりの頃に、職場に慣れた気の緩みから抑えていた反動で将来的には表現活動をしてみたいという発言をしてしまい、実父経由でお偉いさんに伝わったことを知ったショックで一時的に断念してしまった。

会社勤務しているからには仕事に専念する旨の叱責を受けたことに対しては当然のことであり、会社を紹介してくれた実父の顔に泥を塗ってしまったことは勿論、望まない会社環境に対して反発して、真面目に働いている社員を怒らせたことに対して申し訳ないことをしてしまった気がする。

仕事を干された20代後半から時間が許す限りブログや掲示板でその日出来事や自分本位の発言で認めて欲しい旨の書き込みをして反発され、否定的な気持ちはあったものの、40代になった頃にブログ代わりに始めたTwitterで労働問題を取り上げた書き込みをしたことを同僚の元出向社員に告げ口され、当時の元管理職に誹謗中傷と見做されて叱責された悲しい経験もした。

私としては巷で問題視している話題を取り上げて同じ経験をしている人達と共有するために書き込みをしたと反論をしたが、元出向社員にそんなことをしていても誰も理解してくれないというシビアな発言を頂戴された。

過去にいじめを受けて認められなかったことから本当の自分を受け入れることしか目を向けいていなかったものの、現在は #日本国憲法 でいう #表現の自由 が認められており、その裏には発言した内容に対しての責任があることを理解しており、反論があってもこれを承知して継続する覚悟はある。

強いて言えば、私の専門外や不明点がある部分に関しては一切書き込みはしない。

家庭を含めた抑圧された気持ちを吐き出す場所を言っても何だが、自身が問題視していることや巷の話題を考察したことをnoteで記録してTwitterで周知・拡散する作業を行うことによって、大袈裟に言えば連絡が途絶えた友人・知人に消息が確認出来る体制にしているのも同然で行なっている。



只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。