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高校の周年記念式典の演奏依頼を受けた時の心情

1993年頃、高校の開校10周年記念の演奏依頼を帰宅直後の私に電話を一期上の先輩から電話で受けた。

二度も卒業した学年に進級したと同時に、完全燃焼しないまま家族の命令による不本意な形で途中退部したのだからその資格はないー

と思いつつ、新しく就いた仕事に慣れることを優先する方向でいたが、

実際は当時の上司によって後輩よりもいい仕事が与えられないといった不満や嫌がらせで苦痛を受けているから、懐かしい仲間と一緒にいた方が楽しいと思ったので、承諾した。

高校三年時の模擬面接の練習で面接官役をしていた当時の担任から、

私の場合は部活に在籍していた間はほぼ皆勤の形で参加していた為、引退まで在籍していたと見なしてくれた。

中学同様、 #毒親  育ちであったことを部内で知られていたからという情報があっての配慮だったかもしれない。

卒業、就職を経て四年後の同窓会で再会、

再会した人皆、また演奏したいねという話で盛り上がり、当時のメンバーと在籍中のメンバーと交えながら演奏する次第となった。

それを機に、かなりの頻度で遊ぶことがあり、それなりに楽しかった。

そして、

私がいなければ何も始まらない

ということを言われ、まだ若かった私としては嬉しく思っていたが、

今振り返れば、 #イジり  で利用される為の道具であったのだろうと回想している。

本来ならば家族によって反対され、自傷行為の形で仕事に専念すべきだったのだが、

社会に完全に染まらないうちに再び合奏しようといった甘い言葉に負けてしまったことになる。

決定的になったのは、当時の部員同士のスキー旅行をする為に有給休暇の申請を当時の元上司にしたら、

繁忙期に遊びのために有休取得することは非常識であるという叱責を受け、結婚等で会えなくなるから機会を与えて欲しいという反論による対立から、「社会性」がないと見なされた。

不本意な理由によって希望する進路を断たれた私は、

偽りで作られたOLでいることと純粋な人格を持つ人格との間で葛藤に苦しんでいることを理解されないやらせなさで一杯だった。

仮に会社生活が上手くいっていたら、

不本意な形で退部した部活の仲間といたことは過去のことであると振り切って、オファーを受けないつもりでいたが、初職が思っていたよりも理不尽な扱いを受けていたことがあったことによる一時的な逃げ場として利用していた事実であると受け止めている。


#部活の思い出 #生きづらさ


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部活の思い出

只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。