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いじめ被害回想録〜東村山第七中学校編〜

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昭和59年度〜61年度に在籍した東村山市立東村山第七中学校時代に受けたいじめ被害のだ回想を執筆しました。
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#自己紹介

中学時代の社会の授業の居眠り非難から挽回した定期テストの思い出

中学一年の社会の授業で、当時の担当教諭の長ったらしい講義と、その間にある「ね」の連発によって睡魔に苦しめられ、居眠りをしてしまった事態になり、同じグループにいた友人にかなり忠告された。 最終的には、その教諭に注意されて起こされたのを目撃されてしまったことを受け、 いくら親しい仲間に言われたことがかなりショックを受けてしまい、それ以来、卒業するまでにその科目の定期考査で担当教諭に私の名前が呼ばれるように猛勉強する様になり、彼女と三年次に再び同じクラスになるまで実現できた。

礼儀知らずで友達が出来なくなるという危機感を持った中学時代

小学校で全期間及び中学で一年間クラスが同じだったクラスメイトに、 礼儀の一言がないという「常識」を守って欲しいとしつこく指摘され、それが疎ましく感じたことから引きこもることが出来ずに、彼女を避けてきたことで #いじめ にエスカレートしてしまった。 中学に入学してから、クラスの大半が面識がなかった人に、そのことで不満を持っているという理由で悪口を垂れ流され、 卒業するまで #ぼっち になってしまう危機感を抱いた。 ホームルームでいじめ被害を訴えて助けを求めるどころか、

俯いて歩いていた私に気づかせてくれた口論と陰口と挨拶の仕方

3.11= #東日本大震災 から10年が経とうとしている。 その直後に計画停電等で生活や仕事に滞っていた影響で私を含めて皆不機嫌になっていた。 震災直後の出勤日に当時、私と同じ契約社員から正社員に任用された庶務の女性社員にいつもの様に小声で挨拶をしたら注意をされてしまい、激昂と言わんばかりか、真面目にしていると反論した。 彼女曰く、いつも俯き加減でかつ、小声で挨拶をする私に対して、 「挨拶をしたくない」と見做され、幼少期から中学時代にそれが原因で #いじめ られてしま

緊急避妊薬の薬局販売することを危惧している私の性的対処法

#緊急避妊薬 が薬局で購入可能になったことを受け、 #性行為 を男性任せにする女性が男性同様、安易な「快楽」を求めて乱用しそうだと危惧しており、従来通り、警察に通報した上での #産婦人科 での救急外来しか受け付けない方針を継続すべきだと思っている。 処方を受け付けている産婦人科医師としては、 レイプや性暴力被害かつ、避妊薬処方がある病院が遠方にしかないという緊急要因という理由で定義しただけであり、「遊び」目的でやられたという危惧から受け付けられないという本音があるだろう