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其之一「じいちゃん、ただいま」

「マサよ、故郷はえぇもんじゃろう!」

車内でそう僕に語りかけたのは、今年還暦を迎えた叔父だ。
僕が、住まいの千葉県から実家の広島県の福山市に帰郷したのは、もう9年振りとなる。
9年振りに再会した叔父は、声こそ昔のまま若々しいものの、頭髪は禿げ上がり、髪色も年齢にふさわしく真っ白になっていた。

「そうだな。やっぱり生まれ故郷は落ち着くな。」
車の窓越しに快晴の瀬戸内の高い空を見上げながら、僕は率直に返答した。

「マサが戻ってきたけぇー、ご先祖様が歓迎しょーるんで。今日ら曇りの予報じゃったんじゃがのう、よう晴れとるわ。」
以前はそのような信心深い事はほとんど口にしなかった叔父が“ご先祖様”なんて言うなんて、過ぎた年月とその重みのようなものを十分過ぎるほど感じざるを得なかった。

最寄りの駅から車を走らせること15分。小さい山をひとつ越えた先に僕の実家がある。
今でこそ広島県第二の都市である福山市の一部だが、15年前に行われた所謂平成の大合併前までは、深安郡という小さな自治体だったド田舎の一角である。

「あっ!ここの道路脇きれいに舗装してある!」
「新しい家が建ってる!」
「このゴルフ場は何十年も変わらないな。自動車教習所もそう。ここのレストランも変わらないな~」
僕は帰路の車中で、通り過ぎる街並みを横目に見ながら、端々の変化のある所・ない所を次々とあげていった。

「地方はこれから面白いど。おみゃーのやりたい事も好きにできる可能性が東京よりもあるかも分からん。早う本格的にこっちに戻って一緒に仕事しょーや、のうや?」


「もちろん!今回はそのつもりで戻ってきたんだよ。インターネット・スマホが普及した事で、地方はいまやチャンスの宝庫だ。もうこのまま福山にずっといても良いと思ってるよ。」


「じゃけど、おみゃーも家族がおろーが。奥さんと子供二人はどうなん?千葉に残しとろーが。単身でこっちに戻るのは難しかろう。反対せんか?」


「そうだね……いずれは嫁と子供を連れて戻ってこようと思うけど…今はタイミング等々、諸々模索中だよ……」
家族の話をされると辛い。僕は歯切れ悪く応えた。
僕には10歳年上の妻、8歳と5歳の息子がいる。8年前に長男を授かった事がきっかけとなり結婚した。
しかしながら、ここ1年以上、妻とはまともに口をきいていない。子供達ともほとんどコミュニケーションをとっていない。
所謂、家庭内別居というヤツだろうか。離婚は時間の問題だと感じている。そうなってしまったのは、自らの甘さ、未熟さによるものとは理解しているが、一度意地を張ってしまうと元に戻すのは、中々簡単ではない。
家族の話題について歯切れの悪い僕を見て、叔父は敢えてなのか、それ以上僕の家族について詳しく尋ねてくる事はなかった。


山の坂を車で駆け上がる最中、気圧差で耳の奥がキーンとするのを感じる。
山道のカーブをくるくる走行しながら、道の途中の高屋川に架かった橋を左に曲がり、そこからわずかに道なりに進む。
以前とほとんど変わらない景色に安堵感を覚える。
そろそろ実家に到着する。


実家の庭兼駐車場に入る手前で、叔父が車を停めた。
「すぐまた出るけぇ、ここで降りるで。」
僕はそそくさと車の助手席から降り、10メートル程先にある玄関に向かった。


「表札も変わらずなんだな。」
祖父の名前のままの表札を見て僕はひとり呟きながら、ガラガラと昔ながらの引き戸を開け、玄関に入り靴を脱ぎ、ひと部屋先の仏間へと入っていった。


「じいちゃん、ただいま」
祖父との9年振りの再開だった。

ただし、祖父はA4サイズのフレームに遺影として佇んでいる姿ではあるが。
曾祖父・曾祖母、祖父・祖母の遺影に囲まれながら、線香を焚き、おりんを“チーン”と鳴らし、仏壇に向って手を合わす。
遺影の中の祖父は、当然の事ながら何も言わず、じーとこちらを眺めている。

祖父は8年前の6月末に84歳で老衰で他界した。
東京で仕事をしており、妻も長男の妊娠中で出産間近だった事もあって、僕は葬式時も帰郷しなかった。
そのまま長男が生まれ、次男が生まれ、仕事にかまけ、9年間も実家の敷居をまたぐ事無く、ずるずると今日まできてしまった。
後悔がない、といえば嘘になるが、まずは男として仕事人として一人前になる事を祖父も望んでいるだろうと、自分への言い訳を繰り返しながら、仕事に邁進してきた。


「わしひとりのワリにゃ~家の中キレぇーにしょーるじゃろ。」
叔父は僕の心情を察してか、日常的な話題を振ってくる。

「そうだね。きれいにしてて、悪いけど少し驚いたよ。」
生返事だと認識しながら、僕はそう応える。

この家は、知っているのに、知らない場所。意識は半分、思い出の中にいた。

家中の空気に染み渡り、とれなくなってしまっていたあのタバコの匂い、仕事に履いていく黒い地下足袋、縁側に無造作に置かれた灰色だか茶色だか分からないキャップの帽子。洗濯ハンガーにかかった白いグンゼの肌着。台所に常備されている大好きな日本酒。

そして、その日本酒を「薬じゃ」と、人の耳に本当にタコができてしまいそうな程繰り返し言い、注意されながらも毎日、毎日、嗜むじいちゃん。

失笑もできなくなる程聞いた「薬じゃ」の鉄板ジョークを、まさか自分の頭の中で反芻し、笑うどころか、涙を堪えるようになるなんて、あの頃の僕には想像すらできなかった。

僕の知っている“じいちゃんたち”がもうここにはいない。9年の月日は無常なものだ。

祖父のいないこの家。

それは僕にとって初めての体験だった。


つづく



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